アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「和合の教えを活かすにはどうすればよいのか?」という相談にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

    仏教の経典を読むと、お釈迦様は弟子たちに繰り返し「和合しなさい」と諭しています。この「和合」という教えについて、私たち現代社会に暮らす者にも役立つポイントを教えていただけないでしょうか。

 
[A]


■ブッダの教えは民主主義の教え

    お釈迦様はその生涯を通じて、一生懸命、人々に和合の生き方を教えようとしてきたのです。仏教の和合は「水と牛乳が混ざり合うように、違う性質の液体を混ぜても見事に同じものになる」という喩えで表現されます。現代的な言葉で言えば民主主義の教えです。一人ひとりが違っても、皆が一緒に生活するならば、見事に一つになって調和するということです。インドにはガンガーやヤムナーといった大小数限りない河川があります。それぞれの川の水は同じではありませんが、やがて海に注ぎ込みます。海に入ったら「私はかつて聖なるガンジス川から入った水だから、お前は近づくなよ」なんて笑い話でしょう?    一つになるのです。

■アイデンティティの追及から問題が生まれる

    ブッダの世界に入ったら、どんな富豪でもホームレスでも、性別や肌の色がどうであれ、カーストがどうであれ、皆仲間だと、そうやって和合するのが最高の幸福だと、お釈迦様は説かれたのです。しかし、皆それをやりたがらないのですね。我を張って、個性、アイデンティティを発揮したがるのです。
    お釈迦様は出家者に限らず、俗世間の人々に対しても「人間は平等で民主主義で生きるべきですよ、自我を張ることなく、自分の持っている能力で皆に貢献しなさい」と教えたのです。自分の能力で周りに貢献すればそこに充実感が生まれます。周りにとってもその人は有難くて仕方がない存在になるのです。しかし「自分を特別に褒めてくれ」なんていう気持ちが生まれてくると面倒なことになります。そうやって自我を張る人はあらゆる問題を作るからです。

■生命の世界には指導者も管理者もいない

    人はうまく行っている社会の有様を見て、誰かが中央でコントロールしていると勘違いしがちです。その思考で恐ろしい「神」まで生み出してしまいました。しかし、生命の世界に指導者はいませんし管理人もいません。川の水が海でひとまとめになるように、生命の世界はお互い支え合うことで総合的に成り立っているのです。人間の社会でもうまく行っているのは「偉大なる指導者のおかげ」ではありません。人々がお互いに支え合い、貢献し合って和合を保つことで、住みやすい社会が成り立つのです。逆に、社会に問題があるならば、組織がうまく機能していないならば、どこかに「自分は特別」という自我の病が見つかるはずです。



■出典    『それならブッダにきいてみよう:人間関係編」

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