アルボムッレ・スマナサーラ(初期仏教長老)
釈徹宗(僧侶、相愛大学学長)


アルボムッレ・スマナサーラ長老と釈徹宗先生による「ユーモアの力」を再発見するオンラインセミナー「仏教のユーモア活性術──生き方を変える「笑い」の力」をお届けしています。第4回は、スマナサーラ長老と釈徹宗先生に、仏教に見るユーモアについて語り合っていただいています。


第4回    アルボムッレ・スマナサーラ×釈徹宗    対談「仏教に見るユーモア」


■コーピングユーモア

    私の友人に、柏木哲夫さんというクリスチャンの方がいます。彼は日本で初めてホスピスケアの病院を作った立派なお医者さんで、死にゆく人とずっと関わってこられました。この人が「コーピングユーモア」ということを言うんですよ。コーピングというのは、向き合う、対処する、引き受けるというような意味です。つまり、ユーモアで引き受ける、ユーモアで向き合う、ということですね。
    柏木さんが付き合っているのは、ほとんどが末期の人です。死が迫っているその人たちにとって、ユーモアがどれほど重要な営みであるのかを力説しています。まさに先ほどの長老のお話にあったあの感じです。「なんとか死なないで帰ってこられました」というような。たとえば「あんなにトレーニングをして足腰を鍛えたのに、ガンになっちゃって、鍛えたのが何にもならなかったよ」とか、「自分が死んだら、それからでもお嫁に行っていいよ」と高齢の奥さんに冗談で言ったりとか。それによって、少しずつ死と向き合っていく。それをコーピングユーモアというふうに柏木さんは言うのです。
    ユーモアがもし無執着へとつながるのであれば、ユーモアは立派な仏道の歩みであると言えるのではないかなと長老のお話を聞いて感じました。