〔ナビゲーター〕

前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)

〔ゲスト〕
河口智賢(山梨県耕雲院)
倉島隆行(三重県四天王寺)
平間遊心


應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」の連載第7回は、曹洞宗の河口智賢さん(耕雲院)と倉島隆行さん(四天王寺)、そしてスペシャルゲストの平間遊心さんをお迎えしてお送りします。
伝統あるお寺に生まれた河口さんと倉島さん、そして一般家庭で生まれ育ち出家された平間さんという御三方から、曹洞宗の流れと道元禅師の強烈な個性との複雑な関係について幅広く学んでいきます。教科書だけではなかなか学べない絶妙な面白さにぜひ触れてみてください。禅はやはり頭だけの理解だけではなく実践が大切なようです。


(1)僕たちがお坊さんになったわけ


■スペシャルゲスト登場

前野    皆さん、こんにちは。「お坊さん、教えて!」も7回目。ついに禅宗。曹洞宗です。司会は慶應義塾大学の前野隆司です。

安藤    多摩美術大学の安藤と申します。私は折口信夫(おりくちしのぶ)がもともと専門なのですが、その関係でまた最近、鈴木大拙を読んでいましたら、大拙は、なんとか道元について書こうとしたけれども、とうとう書けなかったという話が出てきました。
    大拙は日本的霊性(にほんてきれいせい)について語っているのですが、道元禅師は「霊性(れいしょう)というのは紛い物(まがいもの)である」と、大拙の生まれる何百年も前に実に大拙批判、「霊性」批判をしておりまして、今日はそのあたりについても皆さんからの率直なご意見を伺えればと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

前野    今日はなんとお坊さんが3名もいらっしゃっています。まずは倉島さん、よろしくお願いいたします。

倉島    三重県津市の四天王寺で54代目の住職をしております倉島です。四天王寺というと大阪の四天王寺が有名なのですけども、実は三重県にも四天王寺がございまして、そこの住職をしております。
    今は曹洞宗のお寺なのですが、もともとは聖徳太子の建立です。法相宗、天台宗、曹洞宗と宗派を変えながら現在まで脈々とつながってきました。今日はよろしくお願いいたします。

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倉島隆行さん(写真提供=倉島隆行)
前野    そしてお二人目は河口さんです。

河口    皆さん、こんばんは。私は山梨県都留市の耕雲院で副住職をしております河口智賢(かわぐちちけん)と申します。耕雲院で副住職をさせていただきながら、お寺の原点回帰を目指すような寺子屋の取り組みをしたり、地元の若い方々と一緒にお寺で子ども食堂を開いたり、坐禅会を開催したりしております。
    最近はコロナ禍ということでオンライン坐禅会も始めておりますが、世界中の方とつながる機会をいただいて、あらためて禅の魅力を感じさせていただいております。今日はそのようなところを皆様とお話できたらと思います。よろしくお願いいたします。
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河口智賢さん(写真提供=河口智賢)
前野    ありがとうございます。そして3人目は平間遊心さんです。よろしくお願いいたします。

平間    曹洞宗僧侶の平間遊心と申します。なんの肩書きもない私が、お二人の大先輩方と一緒に画面に登場させていただくのは恐縮なのですが、私は普段はネット上での活動を主にやっておりまして、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、「仏教のアレ」( https://buddhismare.net/ )というサイトを運営しております。そちらを通じて、坐禅や瞑想について説明をしたり、坐禅実践者や瞑想実践者の方からの相談を受けたり、というような活動をしています。
    今日は倉島さんとのご縁でゲリラ的に参加させていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
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「仏教のアレ」を運営されている平間遊心さん(右)(写真提供=平間遊心)
前野    よろしくお願いいたします。倉島さんと河口さんはお寺で住職、副住職をなさっていますけれども、曹洞宗というものを多面的に語るためには自由にいろいろな活動をされている平間さんもいらしたほうがいいのではないか、ということで若い30歳の平間さんに来ていただくことになりました。
    倉島さん、河口さんと平間さんの立場の違いも含めて聞いている皆さんには楽しんでいただきつつ、曹洞宗というものを理解していただけたらと思っております。


■伝統あるお寺に生まれて

前野    「お坊さん、教えて!」ではいつも最初にお坊さんになるまでの生い立ちをお聞きしています。今日も皆さんにお聞きしたいと思いますが、まず倉島さんは聖徳太子が建立されたという、ものすごい伝統のあるお寺のお生まれになったのですね。

倉島    はい、私は四天王寺の長男として生まれまして、生まれたときから仏様に手を合わせるのが自然な環境で育ちました。お寺の隣にある四天王幼稚園に通い始めた3歳の頃から、厳しかった祖父に坐禅指導も受けておりまして、なんだか一般のおうちではないなというのを小さいながらに感じていました。
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3歳の倉島さん(写真提供=倉島隆行)
    そしてよくわからないうちに得度式がございました。得度式というのは突然師匠となった父から「髪を剃ってもいいか」「これから仏門に入る覚悟はあるのか」ということを問われるのですけれども、「儀式なのでとりあえず3回『はい』と言えば終わるから」と言われて、手を合わせながら「はい」と言ったら頭が剃られて、そして着物を着せられて、いつの間にかお坊さんになっておりました。
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得度式で手を合わせる倉島さん(写真提供=倉島隆行)
    それからお寺を修行道場に見立てて行う法戦式(ほっせんしき)、その後に晋山式(しんさんしき)という、住職になる行事を経て今に至ります。
    小さい頃には警察官になりたいとか、他の夢や考えも少しはありましたが、これだけたくさんの通過儀礼を経ますと「あ、自分もやはり永平寺で修行をして四天王寺の跡を継ぐんだな。54代目に自分が就任するんだな」という気持ちがだんだん芽生えてきました。
    永平寺で修行をした後はフランスやドイツまで参禅に行きまして、諸国を行脚しながら最終的に三重の地に落ち着いて、現在はいろいろな青年会の活動などもさせていただいております。すべてがご縁で、今に至っているという気がしております。


■覚悟を決めることのできた得度式

前野    得度式というのは何歳のときだったのですか?

倉島    小学6年生ですね。

前野    早いですね。まだお坊さんになるかどうかもわからないけれども「はいはいはい」と3回答えたと。

倉島    そうです。得度式のとき、横にお檀家さんのご夫婦がいらっしゃったので、私はてっきりお寺を出て一般家庭のそちらのほうに行くのかな、親が変わるのかなと思っていたのですが、得度式はそのご夫婦の元から離れてこれから仏門に入るというものだったのです。
    祖父からは、「いいか、これからお父さんじゃなくて師匠と呼びなさい。母親にも敬意を持って接するように」と気合いの入った口調で言われました。「敬礼をしなさい」と言われたので敬礼をしながら祖父の言葉を聞いておりましたけれども、家族関係が急にお寺バージョンに変わったのを今でも鮮明に覚えております。

前野    それはショックじゃなかったんですか?    まだ6年生ですよね。

倉島    それはもうショックで、全身を雷で打たれたような衝撃がありました。ただ、今となってはとてもありがたかったなと思っております。
    得度式も早ければ住職になるのも早かったのですが、すべて師匠の言う通りに動いているなという気がいたします。

前野    そういうふうにレールを敷かれると、「自由に生きたい」「警察官になりたかったのに」といった反発が起きそうですけれども、それはなかったのですか?

倉島    私は小さい頃からお檀家さんに非常に温かい応援をずっといただいておりました。お檀家さんがサンタクロースだと思っていたくらい、不自由がないようにといろいろなものをプレゼントしてもらっていました。本当に檀信徒(だんしんと)の方々に恵まれて成長したと思います。
    ですからここで裏切るといいますか、違う道には行けないなとだんだん自覚していったというのが正直なところです。

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お檀家さんと(写真提供=倉島隆行)



■永平寺からフランス・ドイツへ

──海外での修行を志したのはどういうわけだったのでしょうか?

倉島    永平寺で修行を始めて2年経った頃、同級生の女性が亡くなるという経験がございました。亡くなる直前に「永平寺では何を学んだの?」と聞かれたんです。振り返ってみれば「スリッパを揃えましょう」とか「着物を正しく着ましょう」といったことは学んだけれども、これから死にゆく人に対してまったく響かないことばかりだったことに気づきました。それで女性には何も言えずじまいだったのです。
    それに考えてみれば、永平寺には覚悟を持って行ったはずだったのに、いざ修行が始まってみると実家から物資を送ってもらったり援助してもらったり、時には会いにきてもらったりもしてあまりにも娑婆世界とも近かった。もともと寺の生まれですからお寺仲間もいて、思い描いていた出家とはだいぶ違う姿になってしまっているなと思いました。
「これでは駄目だ」と思って、意を決してヨーロッパの禅寺で修行をすることにしたのです。

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フランスでの修行時代(写真提供=倉島隆行)


    曹洞宗というのは大きな教団で、海外にも弟子たちが渡ってお寺を運営しております。私はフランスとドイツに行ったのですが、そこでもうひたすら「死んでもいい」と思いながら坐禅に打ち込みました。
    フランス・ドイツには本を2冊持っていきました。ひとつが『正法眼蔵随聞記』。

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    もう1冊が澤木興道(さわきこうどう)老師の『聞き書き』です。
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    最後の禅僧とも言われる澤木興道老師は、実は四天王寺のある三重県津市のお生まれであるというご縁がございます。澤木興道老師は「日本仏教が弱体化したのは、若く、生きのいい者を扱えなくなったからだ。右に倣えで『はい』と言う金太郎飴のようなおさまりのいいお坊さんばかりが増えたからどんどん弱体化しているのだ」というようなことを仰いました。
    今回来ていただいた遊心さんはまさに「生きのいい若者」です。遊心さんのように「修行したい」「お寺で仏縁を結びたい」と思っていらっしゃる若者にどうやってお寺に入っていただくか。それを考えることが今の教団には必要であると思っております。

(つづく)



(2)体験して初めてわかる坐禅の魅力