その存在を取り除こうとしたり、裁いたりせずに、ただあるがままに「怒りがある」、「貪りがある」と気づくことで心の距離をとり、その存在を肯定していく。これはイエスの「敵を大事にしなさい」とか、「敵の存在を肯定しなさい」というような教えとも全く合います。


柳田敏洋(カトリック司祭、イエズス会無原罪聖母修道院責任者)
(サンガジャパンVol.30 「アガペーの人となるキリスト教的ヴィパッサナー瞑想とは何か」)
※肩書は掲載時