【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「ラーフラの指導は誰がした?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。
[Q]
ブッダは子どもであるラーフラを指導していたのですか? 出家しても親子の情はあったのでしょうか。
[A]
ラーフラの教育係はサーリプッタ尊者でした。お釈迦様は、実の息子を自分の傍にはおいておかなかったのです。お釈迦様が、息子に直々に指導するということはありませんでした。「我はブッダと宣言しておきながら、わが子には愛着があるのでは」と言われるのを避けるためです。公の場ではそういうところは絶対に見せませんでした。
直接の指導はサーリプッタ尊者にお任せになったのですが、その理由を私なりに解釈しますと、「息子のために、人類のトップの知識人をつけてあげよう」という父親らしい気持ちがあったのではないかと思います。サーリプッタ尊者は、とても謙虚で怒鳴ることもなく、子どもにとって一緒にいて楽しい、智慧の第一人者です。ですからそれ以降、みんな「サーリプッタ尊者だったら、うちの子もぜひ出家させたい」と、なっていきました。
しかし、お釈迦様がまったく息子と会わなかったということではありません。ほかの人には知られないようにして、自分から息子を訪ねて二人で語り合ったのです。ラーフラが比丘として頑張って完璧に勉強しているのはわかっています。ですが、人間ですし、まだ子どもですから、お釈迦様はときどき、心の中をきちんとチェックしていたのです。
お釈迦様が詩にした美しい偈が、スッタニパータにあります。「いかがでしょうか? 君は智慧の灯を尊敬していますか?」と。それに息子が答えます。「確かに私は智慧の灯を尊敬しています」と。「サーリプッタ尊者に失礼なことをしていませんか? わがままを言ったりしていませんか?」とお釈迦様が質問しているのです。それに対してラーフラは「大丈夫です」と答えています。パーリ語の文章は、金言のように美しい言葉です。
このように、お釈迦様は傍らでラーフラの成長を見守っていました。そして少し大人になってから説法をして悟りが開けるようにしてあげたのです。
ラーフラが出家したことで問題となったのは、お釈迦様の父親スッドーダナ王です。お釈迦様のされることには、なにひとつ反対しない父親でしたが、息子ばかりか孫まで出家したことには耐えられず、お釈迦様に「二度とこんなことはしないでください」と懇願しました。
お釈迦様はその気持ちをくんで、「両親の許可なしに出家してはいけない」という決まりを作りました。その命令をわれわれはいまだに守っています。
■出典 『ブッダの質問箱』