アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「霊について」です。

[Q]

    霊という存在はあるのでしょうか?    無いとしても生前に強烈な心残りや酷い怨みなどがある場合、その感情・熱などがこの世に残ったり、害を与えることがあるのでしょうか?    私は何となく嫌だなと感じる場所や道などがあり、そこを通るだけでもすごく抵抗があり、体調を崩す時もあります。愚かな質問かもしれませんがお答えいただけると嬉しいです。


[A]

■霊とは餓鬼道のこと

    霊というのは結局、死んだ人のことなんですね。仏教では、生命の次元全体の中で人間というのはほんの一次元だけだと教えています。他に餓鬼道があるし、地獄もありますし、それぞれものすごく細かい次元に分かれているんですね。さらに神々という次元があって、それもまた六つの次元にまで分かれていますから。その中でまた小さな小さな区分がたくさんあります。ですから、人間という一次元ではちょっと理解が難しいのですね。それで問題は、この霊が自分に何かをするのかということですが、それは無いと思った方がいいです。ウィルスのように人類と同じフォーマットでできているなら影響を与えることができますが、霊はアミノ酸ではできていないんですね。つまり私たちにとっては居ないに等しいんです。気が弱い方々は「霊がいる」という概念が入ると妄想しちゃうんですね。幻覚・幻聴というか、そういうものをフィーリングで作ってしまうんです。あるいは、ちょっと自分は体調が悪いことに気づかなかったけど、人がいないお寺とか、変なところを通ったことで気づいちゃって「あれ!    体調が悪い……これは、ここにいる霊のせいではないか」などと妄想してしまうのですね。
    霊といったら――どこまでが霊かはわからないですが――仏教用語では餓鬼道なんです。餓鬼道っていうのはものすごく幅広いです。いろんな次元の餓鬼達がいるんですね。餓鬼達は、自分の次元のレベルにいる餓鬼達しか見られないし喋れないんです。神々も同じで、自分と同じ次元の神々だったら連絡やコミュニケーションを取れるんですが、次元が違うとできません。だから、人間に影響を与えることは霊的な存在にはものすごく難しいのです。皆無とは言えませんよ。なぜかといえば、時々人間が、いろんな欲の妄想、怒りの妄想、嫉妬の妄想、落ち込む暗い妄想ばかりして、自己破壊的な思考を作り出すんですね。そうすると同じような思考妄想でいる餓鬼道の霊達と波長が合ってしまうんです。それはとても危険な状態です。自分で管理していないのに、いろんな思考が回転してしまって、身体を動かしたり、変なことをやったり、常識外れのことをやってしまうこともあり得るんです。その場合は悪霊というか、悪い霊の影響だと言えます。でもそれを呼び込んだのは自分です。霊には割り込む力はありません。だからいつでも慈しみでいてください、というのはそういう訳なんです。慈しみは天界の波長と似ているんです。梵天の波長と似ているんですね。ですから、慈しみでいると、決して悪い波長とは合いません。そうすれば皆に好かれる人間になれます。餓鬼道の影響を受けると皆に嫌われます。でもそういうことはしょっちゅうあるとは思わないでください。昔からの信仰や迷信は無視すればいいことです。
    要するに、ちょっとここは雰囲気が悪いとか、ここを通るとゾッとするとか、そんな程度のことでいちいちお化けがいるとか、霊がいるとか、思う必要は無いということです。ただ明るく、「ここって、なんだか感じ悪いですよね〜」などとあっけらかんと言っちゃえばそれだけなんです。関わりを持つ必要はありません。


■出典    『それならブッダにきいてみよう: ライフハック編2』
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