アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「強迫観念について」です。
[Q]
私はよく「瞑想をしなければならない、仕事をしないといけない」などと自分で強迫観念を作っていつも苦しんでしまいます。強迫観念を作らないためにはどのようにしたら良いか、アドバイスをいただければと思います。
[A]
■思考の癖は自分で作るもの
自らいろいろ癖を作ってしまうのでしょう。癖を作ってしまったら、一日で、瞬間で直ってしまうということはありません。覚悟しなくてはいけないのです。それで私がやり方を教えたら「強迫観念を止めなくてはいけない」という強迫観念を作ってしまう可能性もあります。話になりません。
勝手に、妄想でどんな観念があっても物事は因果法則で動くのです。ですからどんな観念を持っている人でも結局はその時その時、やることしかできないのです。至って簡単なことです。
焼肉弁当を買って食べようと勝手に決めても、店に行ったら焼肉弁当が無い。どうしますか? 「なぜ焼肉弁当を置いてないんだ!」とクレームを入れますか? 全ては因果法則なのです。「無ければ仕方がない。じゃあとんかつ弁当にしよう」と、別の考えに切り替えなくてはいけない。人生とはそういうものなのです。その場その場で、変化しながら生活しなくてはいけないのです。それをまず理解してください。
もう一つのポイントは、なぜ自分を責める・縛る考えをわざと持つのか? ということです。そこは考えた方が良いと思います。今も強迫観念というのは自分で作っている--自分自身で自分を縛っているのです。苦しみを作っているのです。
生きることは本当に忙しくて苦しくて大変なのに、さらに自分でいろんな精神的な問題を作っているのです。苦しみが足りないのでしょうか?
■感情依存という病気
昨今はコロナウイルスが蔓延していますが、それでもまだ苦しみが足りないというのでしょうか? この先、感染者を見ただけで感染するというウイルスが出てきたらどうしますか? 相当、怖くなるでしょう。さらに怯えて、極端な苦しみを味わって、誰にも会わないで隠れて生活するつもりでしょうか? そんな時に余計な苦しみを作ってはいけないのです。そうは言っても私たちには余計な苦しみを作る癖があるのですが……。
この質問者にはやりたいことがいろいろあると思います。でもそのやりたいことが一つも役に立たないことは自分が知っているのです。つまり依存しているだけなのです。依存といったらニコチン依存のようなことで、タバコを吸いながらも「これを止めたい……止めたい‥…」と思ってやっているのです。アルコール依存症の患者さんも、止めたいと言いながら続けてしまうのです。派手な依存でなくても、私たちにはいろいろ感情依存が、好み依存があるのです。一般的には全然気にされませんが、仏教はそれも大変な病気として見ています。
■依存を断つことの爽快さを繰り返す
好み依存・感情の依存は、つまり「やりたくない依存」です。そうするとわざわざ、「瞑想しなくては! アレをしなくては! コレをしなくては!」と、自ら強迫観念を作って自分を戒めてみようと思ってしまうのです。そう思ってしまっているから治りませんが、治さなくてはいけません。そうでなければ戒めの意味が無いのです。薬を飲んでも病気が治らなかったら、服薬を止めるでしょう?
ですから、「自分は何依存症だろうか?」とチェックしてください。モノなど物理的では無い、精神的な依存もたくさんあります。マンガを読みたくて仕方がないとか、テレビを見たくてたまらないとか、それも依存です。一般的には依存だと思われていない依存というのがたくさんあって、それによって人々は損をしているのです。
自分はいったい何に依存しているかと具体的に考えて、それをこの一回だけでも止めようと思えば、自分にとってプラスになります。どうしてもやりたい、依存している事をあえてカットして瞑想してみると、とても気分爽快になります。一回止めると、もう一回止めたくなるのです。それは瞑想が上手くいったからではなくて、依存を断ったからです。そういうふうに頑張ってみてください。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: こころ編5』
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