【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「なぜ子育てはこんなに大変なのか?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。
[Q]
現代社会では皆、子育てに大変苦労しているように思えます。児童虐待や過干渉といった問題がマスメディアを賑わせています。なぜ子育てはこんなに大変なものになっているのでしょうか?
[A]
■子育てに「愛情」はいりません
端的に言えば〝愛情〟で子育てをしているからですね。
仏教では、子育てに〝愛情〟を持ち込むのは危ないと教えています。そんなこと言われると嫌でしょう? 愛情無しに子育てなんか成り立たないと思うでしょう? でも、子育ては愛情が無くてもできますよ。猿でも昆虫でも子育ては完璧にできますね。人間にも子孫を育てる能力が本能に組み込まれています。誰一人、子育てに心配する必要はありません。子供が生まれると男女とも身体に変化が起こります。それで見事に子育てできる能力が出て来るのです。しかし、愛情が絡むとその能力が壊れます。
■愛情とは所有欲です
親にとって、子供への愛情が並ならぬ苦しみを作るのです。親の愛情があらゆる問題を起こします。親の愛情に縛られた子供は何とか親との縁を切ろうとして、切れないなら力ずくで、それもダメなら殺してでも出て行こうとしますが、親とトラブルを起こして出て行っても、正式な〝卒業〟ではないから人生が暗くなってしまいます。「自分は親から祝福されて頑張っているんだ」という気持ちが本人を後押ししてくれるのです。それが無くて、逆に子供が親から離れられず、親元に寄生し続けるケースもありますね。ずっと奴隷のように面倒をみてくれたのだからこれからも大丈夫だろうと。それで何の役にも立たない社会の寄生虫ができあがってしまうわけです。
子供への愛情によって様々なトラブルが起こるのです。なぜ愛情がいけないかと言えば「所有欲」だからです。人間は、生命は、自由でありたいと思っています。しかし社会の依存関係で様々な拘束があります。自由でありたい生命を「私のもの」と見ることは法則違反です。その報いを受けます。自分の子供から暴力を受けたり、殺されたりする羽目になるのです。その精神的な痛みは酷いものです。
■「文化」も子育てをややこしくします
もう一つ、子育てがややこしくなっているのは文化を持ったからです。文化というのはアーティフィシャル(人工的)な物ですが、命には全然関係無いので、本当は真剣に考える必要が無いことです。人間には子育て能力は先天的にありますが、アーティフィシャルな日本社会の仕切りに合わせて育てないといけない。そこで手こずるのです。
アーティフィシャルな習慣は「いのち」に関わらないから、当然、子供は嫌がります。なぜやらなくてはいけないか? 全然わからないからです。だから、ちゃんと「いのち」に関わるように教えないといけません。「そんなことしたら格好悪いよ」とか「挨拶すればいい子だと思われますよ」と。それならば「いのち」に関わるので子供はしっかり聞くのです。子育ては人工的な文化に適応させることで苦労している面もあります。
■出典 『それならブッダにきいてみよう:教育編1』