池谷 啓(編集者)

伝説の禅僧といわれ、一処不住で遊行し、修行に一生をささげた修行僧がいます。村上光照老師。『サンガジャパン』などの仏教雑誌での記事や、NHKの『こころの時代』に数度にわたり出演した以外ほとんどメディアには出ず、伊豆・松崎にある庵「安樂庵」を拠点に、全国、世界をめぐっていた。京都大学大学院で湯川秀樹博士のもとで理論物理学の研究をする研究者から、名僧・澤木興道老師に出会い研究者の道を捨て仏道修行の道を歩んだ。その華々しい青年時代の経歴と、その後の地下に潜るような修行者として歩み。なかなかその全体像をつかめないことから「伝説」と呼ばれたのだろうか。その村上光照老師は今年2023年1月22日、自身の誕生日の翌日に「安樂庵」で86年の生涯を閉じ遷化された。今回は、老師の遺徳を偲び、ゆかりの方たちに老師のエピソードをつづっていただきました。
第1回は、人づてにその存在を聞き、ひょんなことで出会い交流が始まった編集者の池谷啓氏。第2回は、ヨーロッパに度々訪れ坐禅指導していた老師のもとで在家得度したポーランド出身の禅僧シュプナル法純師。第3回は、2012年の対談以降に晩年の老師と深い親交をもっていた作家の田口ランディ氏。第4回は、2016年から最晩年までの老師の姿を映像に記録した映画『DAIJOBU』がこの度公開される監督の木村衛氏インタビュー。
第1回は編集者の池谷啓氏のご寄稿を前後編に分けてお届けします。


前編「村上光照老師との出会い」


◉一緒に地べたに座り込んで話をしたのだった

    新宿中央公園を通りかかると、そこに二人の禅僧がいた。
    地べたに座り込んでいる。噴水の水道水を飲んでいる。
    そばには、カーキ色の大きな登山用のリュックが置いてあった。

    竹田倫子さん(上座仏教修道会を主宰)から、つねにリュックを背負って全国を行脚している村上老師という立派なお坊さんがいると聞いていた。

──え!もしや、この方が村上老師?   

    声をかけてみた。
「もしかして村上さんですか?」
    その禅僧はニコっとした。人なつこい笑顔がかえってきた。手にはフランスパン。
「はいー、村上ですぅ〜」。
    なんともなつかしいような声。穏やかで悠然とした声の響き。

    その時の笑顔が忘れられない。
    もう一人、お連れの僧侶がおられた。目の見えない方らしい。道照さんといわれた。
    しばし、一緒に地べたに座り込んで話をしたのだった。

『法華経』のことやら音楽談義をした。
「ほうほう、あなたは詳しいねえ」

    村上さんは、けっして相手のことを否定しない。
    よく聞いてくれるので、ぼくは調子にのってついつい話してしまう。

───NHKの『こころの時代』に出られたということで、それを見て竹田さんがとても感心していました。

「あれは頼まれて仕方なく出たんだけれどもね。人間、有名になったらあかんのですよ。ぼくはなるたけ、世に出ないように。出ないようにしとります」。

    話も尽きて、老師はそろそろ次のところに行くようにみえた。
「どれ、でかけましょうか」
    重たそうなリュックをかつぐ。眼の不自由なお弟子さんはリュックの紐をつかむ。二人で、夕陽を背にのんびりと歩いていく。さながら一服の絵のようだった。

──ははあ。世の中にこんな坊さんが、いるんだなあ。
    その出会いは、40年も前のことだった。
 

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◉秋葉原駅の改札でばったり出会う    歌舞伎座にも

    それから数年後。秋葉原駅の改札のところで、ばったりと出会ったのだった。
    作務衣に手ぬぐい、大きなリュックを背負っている。老師だとすぐにわかった。
    声を掛ける。
「おひさしぶりです。こないだ新宿の公園でお会いしました」

「おお。池谷さんですか。ひさしぶり」
    また、なつかしい笑顔と声の響き。

「きょうはオーディオの部品を買いに来たんですよ。真空管のこのタイプが必要でねえ。」

    当時の秋葉原には、電気部品が何でも揃っていた。老師は、オーディオ機器について、たいそう詳しい様子だった。

「ところで池谷さん、この駅の上に、おいしい焙煎コーヒーの店があるから、そこでコーヒーでも飲みませんか」
「はい。もちろんです」

    二人でコーヒーを飲みながらの雑談。

「ぼくはお寺もないし、なんにも持ち物がありません。でも、みなが『うちへ来て下さい。どうぞ、いつまでもいて下さい』というので、そのままその寺にいたりするんですわ。
    なんにもないっていうことは、なんでも持っているみたいなものでねえ。
    それで、ぼくはリュックひとつで、全国を行脚しとります。
    どこに行っても、そこが道場。行ったところ行ったところで、みんなありがたいんですわ」

───なるほどなあ。なんにもないっていうことは、なんでも持っていると。そんな無所有のありようを地でいっているお坊さんなんだ。
    あるとき、「歌舞伎にいかんかね」と電話をいただいた。
    歌舞伎とはありがたい。ぼくはいつも一幕物で、ものすごく遠くの席から見ているだけ。
    待ち合わせて東銀座の歌舞伎座に一緒に出かけた。
    かなり前の方のいい席であった。役者の表情がよくわかる。
    信徒さんからのお布施で券を頂いたという。
    その上、私には、立派な幕の内弁当をくださった。老師はといえば、アルミの大きな弁当箱。なかには玄米と梅干しだけ。それをおいしそうに食べておられた。

「大学時代から、玄米と梅干し、それから大根の葉っぱ。これがおいしゅうてねえ、もう十分なんですわ」


◉草庵を訪ねる    澤木老師との体験

    伊豆の下田でインドのヘラカーンのBabajiという方の火の儀式(ヤッギャ:護摩の原型)があるので、友人と出かけた。

───そういえば、松崎がちかくだ。老師の草庵ってこのあたりじゃなかろうか。しかし、いつも全国を行脚しているというので、訪ねても不在かもしれないなあ。まあ、不在でも草庵を見るだけでもいいかな。

    ということで、松崎まで出かけた。松崎は、海からも温泉が湧くようなところで、気候は温暖だ。人に聞いて、老師の草庵を訪ねた。
    それは小さな木造平屋の粗末な草庵だった。

───おや、なんだか沢山の人がいるぞ。

    近所のおばちゃんたち四、五十人が、せっせと草刈りをしていた。
    幸いなことに、老師は、数日前に全国行脚から戻ってきていたのだった。

「おお、池谷さんかぁ。まあ、あがりなさい」

    道場に上がらせてもらった。床の間には坐禅姿の澤木興道師の坐禅姿の写真が掲げてあった。老師の師匠である。
    やがて草刈りを終えた人たちが集まって、みんなでワイワイと楽しそうに食事会がはじまった。わたしも混ぜてもらった。
    しばしお話をうかがう。友人が執筆し、ぼくが制作した瞑想の本を差し上げると、そのまま頭に乗っけて笑っていた。「頭で書いた本だのぉ」ということだったろうか。

「この草はこうすれば食べられる。これは薬草になる」
    草にも詳しい。そうして、老師の声の響きの中にいると、自然とくつろげてしまうのだった。

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    あの笑顔、悠然さ、のんびりとした落ちつき、そして遊び心……。
    そんな生き方をみていると、
「人間あくせくしなくても、どうにか生きていけるんじゃなかろうか」
    という気がしてきた。

「仏法は餌食拾いの方法ではない。自分の本質がいきる生き方である。道のためには生命を全うしなければならぬが、道のために食えなければ飢え死にするまでのことである。」
    とは、澤木興道師のことばだ。

    老師の紹介で、学生時代に安泰寺で一緒に澤木老師の接心にともに参禅したというKさんにお話を聞いたことがある。

    澤木老師は、参禅した人に説法されるとき、いつも話の途中に「そうだのぅ、村上くん」「そうだのぅ村上くん」と言われていたという。澤木老師のようなすごい方が、ほんとうに期待を寄せておられたことがわかったという。

    村上老師にそのことをお聞きすると、
「そうでしたなあ。いつも澤木老師には厳しくも暖かく指導していただきましたよ。あるときなど、澤木老師が私をみて、礼拝したことがありました。師匠と弟子がともに深々と礼拝するんですね。そんなこともありました」


◉マイペースでおちゃめな老師

    それから十数年たち、出版社(サンガ)の主催で神田で老師の講演会があり、私がインタビューを務めることになった。公開インタビューしながら、それを本にしようという計画であった。

    なにしろ、めったにお会い出来ない伝説の禅師ということで50名ほどの方が集った。若い女性が多かった。
    老師はおちゃめである。部屋に入ってきただけで空気が和んでしまう。

    ところが、質問をすると、話は次から次へとあらぬ方向に行ってしまう。
    しかも、かなりハイペースで、どんどんと展開していく。自分の世界に浸っていくような感じがした。

    なにしろ京都大学の大学院で理論物理を学んでいた。日本初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹の研究室にいた方だ。数学など、ものすごく詳しい。
    量子力学の話から、和算の話。それからヨハネの黙示録から、西郷南洲の遺訓。次から次へと『法華経』の世界の発露のようなイマジネーションの爆発であった。

    ただ、ちとマイスペース過ぎて、コミュニケーションは難しくなったかなあ。う〜ん。踏み込んだやりとりができなくなったなあと感じた。まあしかし、まとめ方によっては、ぶっとんだじつに面白い話になるかもしれないなあと思った。

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(撮影:森竹ひろこ)
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(撮影:森竹ひろこ)

◉「その通りだ」と宣言するようなお経の響き

    老師が供養を頼まれたお寺で、お経を読んでいる場に居あわせたことがある。
    それが独特なものであった。

    まず、いろいろなお経の言葉で場を浄めていく感じ。
    さまざまな霊(神々、諸天)に対して、すごいエネルギーで供養の言葉をささげていた。言葉の内容は覚えてないが、その真剣味がすごかった。

    そして、「開経偈」(かいきょうげ)を読む。老師は宗派としては曹洞宗であるが、日蓮宗の優陀那院日輝(うだないんにちき)の整えた偈を読んでいた。

「無上甚深微妙の法は    百千万劫にも遭い奉ること難し
    我今見聞し    受持することを得たり
    願わくは如来の第一義を解せん
    至極の大乗    思議すべからず
    見聞触知    皆菩提に近づく
    能詮は報身    所詮は法身    色相の文字は    即ち是れ応身なり
    無量の功徳    皆この経に集まれり
    是故に    自在に冥に薫じ密に益す
    有智無智    罪を滅し善を生ず
    若しは信    若しは謗    共に仏道を成ず
    三世の諸仏    甚深の妙典なり
    生生世世    値遇し頂戴せん」

    この読み方がすごかった。どうすごいかというと、「その通りだ。その通りだ、まったくその通りだ」という仏に対しての宣言のような読み方なのだ。
仏に相向かい、肚をきめてぶつかっていくような、いわば「直入」(じきにゅう)のような響きだ。
    それから読まれたのは『般若心経』と『法華経』の如来寿量品の偈だったかと思う。
    普通のお坊さんたちが読むお経の読み方というと、平板な、響きとしては心地よいものがある。ところが、「その通りだ」という宣言のような読み方をしているお坊さんは、これまで老師しか知らない。

──ううむ。お経ってこういう読み方があるのか。

    たいそう驚いたのであった。

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◉「ほんまもんのお坊さん」がいた

    伝統仏教というと、先祖供養とか故人の供養に力点があり、なかなか生き方の支えになっていないところがある。
    お寺は困った人に声をかけない。困った人がお寺に相談に行こうとも思わない。普通の人が、用もないのにお寺を訪ねるのは憚られる。「なにか用ですか?    なにしにこられたんですか?」と聞かれる。
    すなわち、人々の寄り集まりの場、人々の暮らしと生き方に密着しているとは言い難い。
    なんだか威張っていて、儀式だけしている。説法といえば、猛烈につまらない。そして、暮ら向きは贅沢している。それが世間一般の見方かなあとも思う。

    そんな日本仏教の中、「ほんまもんのお坊さん」がいた。それが老師と思われた。

    そんな老師の本を出したいと思いつつ、その出版社が倒産して、出版の話は宙に浮いた。
    ところが、ある出版社に企画を持ちかけたら、「おもしろいから出しましょう」ということになり、松崎の草庵を訪ねる日取りも決めた。

    ところがその日は、あいにく老師はデイサービスにいく日ということで見合わせとなった。いちどタイミングを逃すと、なかなか実現は難しいものだ。これまた出版は断ち切れとなった。

    さて、次はいつお訪ねしようか。
    そんな時、老師が亡くなったと連絡を頂いた。令和5年1月22日。27日が葬儀であった。

    老師のお元気な頃のテープが残っているので、それをまとめながら原稿にしようと思っている。日本国内の多くの人、ドイツやフランスでも本にしてほしいという声がある。

    以下、ほんのすこしであるが、老師からお聞きした言葉をまとめてみた。


(後篇に続く)
※写真提供:池谷啓



後篇「村上光照老師の説法」


『DAIJOBU─ダイジョウブ─』

村上光照老師の晩年の7年間を記録した映画『DAIJOBU―ダイジョウブ―』が9月9日(土)より公開されます。村上老師とともに描かれるのは、撮影当時はまだ現役のヤクザの親分で、ヤクザと人権問題をテーマとして話題となった2015年の映画『ヤクザと憲法』に出演した川口和秀氏。二人の出会いとその後が描かれたドキュメンタリーです。

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【公式ホームページ】
http://daijobu-movie.net/
出演:村上光照、川口和秀
プロデューサー:石川和弘
監督・撮影・編集:木村衞
サウンドトラック:笹久保伸
エンディングテーマ曲:細野晴臣「恋は桃色」
ナレーション:窪塚洋介

【劇場情報】
●新宿K'Sシネマ
2023年9月9日(土)~
https://www.ks-cinema.com/
★DAIJOBU-ダイジョウブ-    初日・初回上映限定・トークイベント決定!
DAIJOBU-ダイジョウブ-の世界を知り尽くす小島基成(宣伝プロデューサー)と木村衛監督が、 製作秘話や映画を通して伝えたかったメッセージなどをご紹介します。

【日時】9/9(土) 12:00~の回 上映終了後
【登壇者】木村衛 監督    小島基成 宣伝プロデューサー

※登壇者の予定は変更になることもございますので、あらかじめご了承ください。

●大阪    第七藝術劇場
2023年10月7日(土)~
http://www.nanagei.com/

●アップリンク吉祥寺
10月公開
https://joji.uplink.co.jp/

●横浜    シネマ・ジャック&ベティ
2023年10月21日(土)~
https://www.jackandbetty.net/

●名古屋    シネマスコーレ
近日公開
http://www.cinemaskhole.co.jp/cinema/html/

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