プラユキ・ナラテボー(タイ スカトー寺副住職)
浦崎雅代(タイ仏教翻訳家)
タイで出家した日本人比丘プラユキ・ナラテボー師と、生きたタイ仏教を日本に伝える翻訳家の浦崎雅代氏。オンライン対談が開催された2024年8月23日は、2人の恩師であるタイ・スカトー寺の前住職で社会開発僧として著名なルアンポー・カムキアン師の10年目の命日にあたる。「社会とともに生きるタイのお坊さん方から学ぶ」をテーマに、カムキアン師への追悼の意を表して師の思い出や功績を語り合うとともに、パティバット・ブーチャー(瞑想実践を通じた供養、回向)の手動瞑想も行った。プラユキ師、浦崎氏ともに、カムキアン師のもとで自身の修行を積むとともに、貧困、環境、心の問題など時代が抱える課題にも取り組んできた。カムキアン師の遺志を継ぐスカトー寺の僧侶たちのエピソードやそれぞれの体験などを、森竹ひろこ(コマメ)氏が司会に語り合ったイベントを5回にわたって採録する。
第1回 ルアンポー・カムキアン師の略歴をたどる
●あらためてエンゲージドブディズムの定義を確認
プラユキ 本日8月23日は、私の尊敬する師匠であるルアンポー・カムキアン師の10回忌のご命日です。この善き日に、スカトー寺にもゆかりの深い法友、浦崎雅代さんと対談するご縁をいただけましたこと、たいへんありがたく感謝申し上げます。
出家、在家と立場は異なれど、私も浦崎さんもスカトー寺にご縁があり、カムキアン師の説かれたチャルーン・サティ(気づきの開発)を中心にした教えに導かれ、自身の苦しみを軽減することができました。また仏教の素晴らしさを実感し、以来今日まで軸がブレることなく、それぞれの立場で仏教の広宣流布に努めてきております。
本日は、浦﨑さんと最新の「社会と共に生きる仏教」についてのお話や、また師の懐かしい思い出話なども織り交ぜ、ざっくばらんなお話を交わせますこと、とても楽しみにしております。
浦崎さんも私もスカトー寺にご縁があり、その後、お互い瞑想修行にも取り組みながら「仏教の教えを多くの人に」という活動を今まで続けてまいりました。今日こうして、お話をさせていただくことで、私自身も初心に立ち返り、思いを新たにして、仏道精進に邁進していきたいと思います。そして同時に、ルアンポー・カムキアン師からいただいた素晴らしい教えを多くの皆様に、お分けさせていただければと、そんな所存でございます。
浦崎さんも私も、タイという国にご縁があったわけですが、タイには、よくタイの人が使う「マイペンライ」というキーワードがあります。英語にすると“never mind(気にしない)”とか“don‘t worry(心配しない)”みたいな言葉です。今、日本でも様々な不安が渦巻くご時世でございますが、今日ご一緒して、そうしたタイのスピリットの一端を感じていただき、皆様とともに心安らぐ、朗らかなひとときを過ごせたらと思います。どうぞ今日はよろしくお願いいたします。
司会森竹 プラユキ先生、ありがとうございます。もう1人のスピーカーの浦崎先生も、一言お願いします。
浦崎 ありがとうございます。今、プラユキ先生がすべておっしゃってくださいましたが、30年以上昔ですが私もスカトー寺にご縁がありました。本当にありがたい日にプラユキ先生とこうしていろいろお話しさせていただくこと、とてもうれしく思っております。いろいろな懐かしいお話、そして私は今まだタイに住んでいますので、最新情報的なものを皆さまにお伝えできたらなと思います。タム・レンレンあるいはマイペンライの精神で、この場も心穏やかにお話させていただければと思います。よろしくお願いいたします。
司会森竹 よろしくお願いいたします。本日はカジュアルな会なので、この先は敬愛を込めてお二人のことを「先生」ではなく、あえてプラユキさん、浦崎さんと「さん」付けでお呼びしたいと思います。それではさっそく本編に入らせていただきます。まず浦崎さんからスカトー寺や前住職のカムキアン師についてお話しいただきます。
浦崎 はい、よろしくお願いいたします。ルアンポー・カムキアン師はプラユキさんの先生ということで、私のnote(https://note.com/urasakimasayo)でいろいろ発信させていただいたりしていますが、年表を作ってみました。本当にたくさんの業績、たくさんの歩みがありますので、とてもここでは語り尽くせません。ここでは簡単にどういうお方だったか、事実的なものをご紹介したいと思います。それを知るとプラユキさんの先生がどういう方であったのか、イメージできるのではないかと思います。
浦崎 1936年生まれなので、10年前の2014年に亡くなられたときは78歳でありました。今ご存命であれば米寿・88歳になられています。タイの東北部のコンケーンというところでお生まれになりました。私が今、住んでいるところも、スカトー寺があるのも東北部です。普通の農家の子だくさんの家に生まれ、小さいときからお父さんお母さんを支えてというような少年時代を過ごされたようです。そして、10歳のときにお父様が亡くなられました。
当時、田舎の方では小学校4年生までが、義務教育だったかと思います。義務教育修了と同時に10代で沙弥出家をするのが割と一般的でありました。カムキアン師は15歳のときに沙弥出家をされて、2年後に還俗されています。
還俗後、農業をされつつ“モータム”という、いわゆる呪術師のようなことをされています。日本語で「呪術師」というと、とてもスピリチュアルなイメージかもしれませんね。呪術あるいは“カター”という文言を使って霊を祓うとかいった活動をされていました。これは地元の病める人や苦しむ人を助けようとする思いからのものでした。この頃から苦しい思いをしている人や、大変な思いをしてる人への思いがおありになったのではないかなと、歩みを拝見して思うところです。そして22歳でご結婚されて、確かお子さんはお2人だったのではないかと思います。
●30歳でティアン・チッタスポー師に出会い、法の道へ
浦崎 カムキアン師はその後、手動瞑想を編み出されたティアン師にお会いになります。年表の右に世相がありますが、ちょうどベトナム戦争が開戦した年ですね。タイとベトナムは東南アジアのお隣り同士ですから、ベトナム戦争の影響は、少なからずあります。ちょうどそのころのお写真があったので添えました。
写真の右がティアン師で左が若いときのカムキアン師
浦崎 カムキアン師は、在家のときにティアン師にお会いになったわけですが、その後出家をされ、法の道を歩んでいく決意をされました。
その後、いとこのブンタム師が今のスカトー寺周辺の森を行脚されるという、森での瞑想修行を行うところにご一緒にされて、スカトー寺周辺でのご修行が始まっています。当時は、ティアン師のサポートという形で、手動瞑想あるいは心の修行ということをメインにされていたのかなと思いますが、実際にスカトー寺、森のお寺に行かれて、いろいろな問題と出会います。ご自身の瞑想修行だけではなくて、村人との関係もある。当時スカトー寺は、元々あった村ではなくて山の下のほうからどんどん開拓して上がっていって、村のようなものができたという成り立ちでした。警察もない、学校もない状態です。いろいろな村での問題が起こってくる。そこに、当時はベトナム戦争が始まったり、タイも共産化するのではないかという恐れもあったり、村の人たちもけんかしたり、お酒を飲んだり、麻薬が蔓延(はびこ)ったりですね。すごく大変な状態の中で森の修行をされていました。托鉢はもちろん、村人との関係をすごく大事にされていたと思います。
たとえばその頃の村では、幼い子どもたちも、お父さんお母さんに連れられて農作業の場所に行くのですが、家と農作業する場所がけっこう離れているのです。1、2歳の子どもたちを農場にまで連れていくのですが、とにかく暑くて蚊がいて、マラリアがまん延してしまう。そして、子どもたちが死んでしまうという現実がありました。それをカムキアン師は知って「自分が何かできることはないか」と、昼間、親たちが農作業をしているあいだ、子どもたちをお寺で預かるということを始めました。
お寺で子どもたちを預かってお話をするカムキアン師
浦崎 自然発生的に、まさに寺子屋のような感じで、苦しむ村人の状態を見てカムキアン師ができることをなさったということです。カムキアン師が始めた寺子屋のようなところは、チャイアプーム県というスカトー寺のある県で初めてできた幼稚園だったそうです。
●さまざまな支援プロジェクトを開始
浦崎 カムキアン師は、46歳のころに子どもたちや村人たちへのプロジェクトを始められていきます。村が整っていない状況だったので、お米を買いたくても町のほうまで出ていかなくてはいけないし、なにより高額。一括して買えば農協のようなスタイルで村人に分けられるので、米銀行や農協を作るなどの貧困解消のための仕組みを作っていかれました。あとでカムキアン師の活動の特徴をお伝えしたいと思いますが、そこにいる苦しむ人に対応する形でご自身ができることをやっていかれたわけで、最初から「村の開発をするぞ」という意気込みで始めた感じではありません。私は最初、開発僧というのは「開発するぞ」という目標をもって行動するイメージをもっていたのですが、全然違っていて、本当に1人1人の苦しみに寄り添って「自分ができることは何かないかな」ということでご自身ができることをやっていかれた。それは社会に対して活動されるわけですが、カムキアン師ご自身は、社会を変えてやるぞ!という意識も、もしかしたらおありではなかったかもしれません。
「自分ができることを」ということで活動していたカムキアン師は、森、ひいては自然環境保護にも精力的でした。プラユキさんも後でおっしゃるかもしれませんが、森って本当に天然のスーパーマーケットなんですよね。私がいるウィリヤダンマ・アシュラムも半分森みたいなところで、パパイヤがもう目の前に、ほとんど世話をしなくても育っています。ほかにもタイ人の大好きな唐辛子とか、いろいろな作物がどんどん取れたりします。その豊かな森の環境破壊が進んだり、食べるための農業だったものが、紙の材料にするためにユーカリを植え、換金作物の植樹を行うようになっていきました。お金は入ってくるかもしれないけれど、どんどん借金も増えていくような村人の貧しい様子をご覧になって、カムキアン師は先ほども言った米銀行をつくったり、農業もお金のためのものではなく、私たちの生きるため・食べるための農業に変えていこうという活動をされるのです。
年表の48歳のところに「プッタカセート」とありますが、スカトー寺の一部で有機農法あるいは無農薬農場を、村の人たちとの協力関係の中で始められます。
そしてちょうどその頃、カムキアン師が「開発僧」と言われておられたその時代に、パイサーン師が1983年、そしてプラユキさんが1988年に出家をされています。私が初めてスカトー寺に行ったのは1993年だったと思います。その後、カムキアン師は支援活動、開発活動と同時に、瞑想修行もどんどんなさっていかれました。
ティアン・チッタスポー師の直弟子と呼ばれる方々も、最近亡くなられる方が何名かいらっしゃいます。今年に入って亡くなられたお坊さまもいらっしゃいますし、次の時代に引き継がれている、そんな感じを受けています。
●自然環境保護を謳うタンマヤートラ
浦崎 1995年、59歳のときにはニューヨークでしたかね、カムキアン師はアメリカに行かれました。1997年と2回ですかね、プラユキさんも一緒にアメリカに行かれて瞑想指導をされたんでしたかね。
プラユキ師 そうですね。1回目は私、同行というか、お付きのものとして通訳などもしながら、いろいろな身の回りのお世話をさせていただきました。たしか2回目は、パイサーン師と一緒に行かれたと思います。1995年はちょうどオウム事件が起こった年で、バンコクの空港で事件のニュースをテレビで見たのがすごく印象深く残っています。
浦崎 半年ぐらい行かれたんでしたっけ。
プラユキ師 そうですね。6か月間。そして台湾に1か月間ぐらい。
浦崎 ちょうどそうした時代に行かれて。その後、瞑想指導もあちこちでなさり、そして2000年に、タンマヤートラを始められています。
タンマヤートラを簡単に説明します。タンマヤートラは「法の巡礼」と言いますが、スカトー寺周辺を8日間で約100km歩きます。カムキアン師が行っている環境保護のためのプロジェクトは、うまくいくものもあればうまくいかないものもありましたが、やっぱりより多くの人に環境の大切さ、自然の大切さを訴えること、そして一人ひとりが生活の中で改善していくことが大事なのではないかということで、この巡礼を始められたのです。私も何回か参加しました。日本の方と30人ぐらいで行ったこともあって、とても素晴らしいイベントです。そのときの、カムキアン師の思いを語られた動画がありますので、紹介します。
浦崎 動画には実際のタンマヤートラの様子と、カムキアン師の肉声で自然への思いが語られています。
日本語字幕「僧侶と在家者、そして地域の人々が8日間、長い距離を歩行きながら徳を積む、それがタンマヤートラです。環境保全の意識を高めると同時に、歩くことを通して自分の気づきを高める道でもあります。2013年までの14年間にわたって、カムキアン師は最初の回からずっと毎年参加してきました。しかしカムキアン師がいつも強調していたのは、気づきを育てることでした。なぜなら、彼は気づきこそが、すべての人を苦しみから救いだす手段であると考えていたからです。」
浦崎 この動画はYouTubeにアップされている、カムキアン師の一生のドキュメンタリーの一部です。もとは50分ぐらいある長い動画で私が字幕を付けております。よかったらご視聴ください。
「何ものかであるものは、何もない~カムキアン・スワンノー師ドキュメンタリー(タイ語、英語、日本語字幕)」
タンマヤートラは26分過ぎたあたりから
(動画URL https://www.youtube.com/watch?v=MvHDpu0knXw)
浦崎 カムキアン師はそうした形で社会的な活動といいますか、自然環境へのアプローチもされていかれました。そして2006年、70歳のときに悪性リンパ腫と診断され、バンコクの病院に入院されます。一時は、2回も中国に瞑想指導に行かれるほど回復されましたが2014年に再発し、緩和ケアを受けて今日と同じ日付の8月23日、朝の5時前に、スカトー寺にて亡くなられました。
以上、略歴というような感じですけど、カムキアン師の歩みをご紹介しました。いろいろな方々、お坊さんたちだけではなくて在家の方も、今なお本当にカムキアン師の教えを大切にして生きておられる方がたくさんいらっしゃいます。
司会森竹 浦崎さん、ありがとうございました。
(第2回に続く)
2024年8月23日オンライン開催
構成:川松佳緒里
第2回 ルアンポー・カムキアン師の言葉による教えの紹介(3月21日配信予定)
プラユキ・ナラテボー先生と浦崎雅代先生の対談が全文掲載される『サンガジャパンプラスVol.4 特集エンゲージドブッディズム』刊行のためのクラウドファンディングを開催中です。どうぞよろしくお願い致します!仏教総合誌『サンガジャパン+(プラス)』第4号を「紙書籍」で刊行します!
■プラユキ・ナラテボー先生の瞑想会が3月20日(金)に開催されます
東京 2025年3月20日(金・祝) 「お話と瞑想の会 お釈迦様が見つけた『苦しみの処方箋』」

![プラユキ・ナラテボー×浦崎雅代
社会とともに生きるタイの社会開発僧
~ルアンポー・カムキアン師を偲んで~[1/5]](https://image.osiro.it/pass/main_images/562300/images/original/%E3%83%95%E3%82%9A%E3%83%A9%E3%83%A6%E3%82%AD%E3%83%BB%E6%B5%A6%E5%B4%8E-1.jpg?1773385426)






