アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「瞑想と瞑想でないものの差」です。
[Q]
瞑想している状態と瞑想していない状態とは、どのように違うのでしょうか?
[A]
■捏造機能を停止させる
単純です。瞑想していない時は皆さん妄想しています。それだけです。一秒あれば膨大な妄想ができます。瞑想とは、気づきによって妄想をストップさせてみようとすることなのです。厳密には捏造機能を停止させること、その上で物事を観るのです。そういうことで、瞑想することは超難しいと感じているでしょうね。指導者は瞑想する人に対して、特別にある山を登ってくださいとか、この崖から飛び降りてくださいなどと言いません。あなたは半年間飲まず食わずいてくださいとも言いません。普通にご飯を食べて、快適な室内で生活しながら、ただ妄想することだけやめてみてくださいと教えています。しかしこれが難しいのです。
ヴィパッサナー瞑想をする時、私たちは妄想をやめようとしています。瞑想していない時は、妄想の世界で生きています。自分の作り出した幻覚の世界の中で、グルグルと自己回転しています。それは真理の世界ではありません。これは薬物中毒者の症状に似ています。例えば麻薬を使った人は、快楽を感じ、自分が良い世界にいるのだと思い込んでいます。実際には自己破壊なのですが、薬物を使用している本人にとっては、苦しみから逃れられ快感もある完璧な世界だと思い込んでいるのです。瞑想をしない時、私たちは自分が作った幻覚の世界にいるということになります。心理学的に言えるのはそんな感じです。
■幻想の世界を破る
目で見て「花がある」と思うことは妄想の世界です。これも人間の主観なのです。瞑想して観察能力が上がっていくと、「花がある」ということが主観だと理解します。これが瞑想している/していないの違いです。生命はずっと妄想で生きています。それぞれの主観という幻覚の世界に生きているのです。実際にはただの錯覚なのですが、「わたし」という変わらない自我があると思って生きている状態です。
瞑想を実践して皆さんがよく感じるのは、「上手くいかない」ということでしょう。それは、まさに「わたしが瞑想している/わたしが気づいている」という前提、「わたしがいる」という錯覚に最初からやられているからです。瞑想が上手くいかないのが現実です。「上手く瞑想するぞ/しっかり瞑想してやる」と頑張るのは、それは自我です。
■有身見という障壁を乗り越える
私たちは周囲や環境の影響を常に受け続けています。例えば、室温が下がったら寒くて観察できなくなるでしょう。今、地震が起きて天井が落ちて来たら、平気ではいられません。必ず影響を受けます。頭に柱が倒れてきたら肉体はミンチになってしまうでしょう。それは仕方無いことで、避けられないことです。
しかし瞑想とは、世間の生き方・認識プログラムとは全く違うことをすることです。妄想しないということで、幻覚の無い世界(真理)はすぐに観えてきます。自我が錯覚であることが観えてきます。それで苦しみが無くなります。自我の錯覚が、全ての苦しみを生み出していると納得できるでしょう。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: 瞑想実践編4』
https://amzn.asia/d/7uWPWrQ

