石川勇一(臨床心理士、公認心理師、相模女子大学人間社会学部人間心理学科教授、行者)
第1回 タイでの再出家に至るまで
1.還俗後の生活と心の変化
2014年1月~3月のミャンマーで短期出家修行を終えて、在家の生活に戻り、およそ5年が過ぎました。私はすっかり世俗の人間となり、仕事にも忙殺されていました。僧院の生活とは対照的に、世俗の生活は刺激が多く、雑務が多く、複雑で、心は静寂を保つことは困難です。世俗の生活には戒律もなく、自由が多いので、つまらぬことを貪ったり、怠けたり、思い通りにならないことに出会っては怒ったり悲しんだりしてしまうことも避け難いものです。このように、在家の生活は、心が煩悩にとらわれ、乱され、道を逸れてしまうことがしばしば起こります。私は、このまま流されて道を見失ってはいけないという思いもあり、時間をみつけては原始仏典を読み、瞑想に取り組むようにしました。瞑想の実践とダンマを学ぶことによって、世間の荒波と内なる煩悩の激流から一時的にでも解放される時間をつくり、清らかな喜びと安楽を味わい、正しい道を確認し、間違った道を進まないように努めて過ごしていました。
私の仕事は、教育、研究、心理的対人援助です。仕事にも正しい法と瞑想を積極的に取り入れる試みをすすめました。務めている大学では、臨床心理学者という立場ですが、心の苦しみを取り除くことを目的としているという意味では、仏教と臨床心理学の目標は同一です。ですので、「臨床心理学」「宗教心理学」「ソマティックス演習」「ゼミナール」などの担当科目の授業において、ダンマを取り入れて講義したり、正しい瞑想法の実習の時間を増やすなど、ブッダの正しい教えを学生に伝える試みを続けました。大乗仏教と初期仏教の違いをよく理解してもらうよう丁寧に解説も行いました。大学の授業以外においても、執筆、講演、ワークショップ、瞑想会、リトリート、心理療法などで、私が理解できたダンマと瞑想の実践をそれぞれの文脈に応じた形で的確に伝えていくことを試行錯誤しました。ダンマをきいて目を輝かせる人、感銘を受ける人がいると、私は何よりも嬉しい気持ちになります。伝わった喜びが、さらにしっかり伝え、深く伝えたいという動機づけにもなります。しかし、一度ダンマに心を動かした人であっても、学びを継続して理解を深め、心のなかで確信を得て、心の奥深くまで根づくことは容易なことではありません。ダンマに対する澄み渡った理解に基づく確信、つまり仏教の信(サッダーsaddhā)を得ることはなかなか起こり難いことなのです。この現実に直面し、どのようにしたら正しい信を根づかせていけるのかということをよく考えるようになりました。
このようにして、在家修行者として、自分自身の修行から、他者への伝達や援助ということに関心がシフトしつつありました。しかし一方で、もう一度徹底的に自分の修行をしたいという気持ちも残っていました。ミャンマーで出家修行に取り組んでいたときの自分と、その後の在家生活を比べたときに、どうしても出家していた自分の方が充実し、心が輝き、真理の近くにいたという感覚を拭い去ることができなかったのです。私の内部にある求法心はまだ満ち足りていませんでした。さらに修行を重ねたいという上求菩提の求法心と、人々にダンマと瞑想を伝えたいという下化衆生のベクトルが心の中でせめぎ合っている状態でした。
2.マグマ、噴火、津波、爆発の夢
在家生活も5年目に入ったある日、次のような3つの夢を見ました。これはタイへの短期出家修行へとつながる夢であることが後に判明したので、ここで紹介したいと思います。3つの夢は別々の日にみたものですが、同じモチーフが表現されています。私の夢日記からの抜粋します。
夢1:「マグマが迫ってくる」
山を歩いていると、燃えている民家が目に入る。よくみるとオレンジ色に光る高温のマグマが押し寄せて家を押しつぶしている。私は驚いて山を逃げ降りる。逃げ道のすぐ横にもドロドロとしたマグマが迫ってきていて、他の民家も次々と呑み込まれて火がついている。これは大変だと恐ろしくなり、目が覚める。
夢2:「噴火、津波、天国のように美しい湖」
火山が大爆発する。麓にある湖に大量の溶岩流が流れ込み、水があふれ出して大津波が起きる。村がゴウゴウと水に呑み込まれていく様子を驚いて見ている。津波が行き渡り、一面が湖のようになったので、私は水に飛び込んで泳いでみる。するとなぜか驚くほど水が透き通っている。湖の底の方に綺麗な村や森があるのが見える。それが天国のように光輝いていいて、あまりの美しさに感動して目が覚める。
夢3:「車の爆発」
道を歩いている。横に駐車していた車が、突然爆発し、私は爆風に吹き飛ばされる。驚いて目が覚める。
3.夢の種類
私はもうかれこれ30年以上夢日記をつけています。夢を見たら必ず書いているわけではなく、重要な夢だと思った場合だけ記録しています。記録するときは、夢を見た直後に布団に入ったまま記録し、思いつく連想や解釈をメモするのです。布団から出て起き上がってしまうと、夢は急速に忘却されてしまいますし、夢のなかでの理屈や感情が分からなくなってしまうので、目覚めた直後に書きます。その時には夢の意味がよくわからなくても、永い年月が経った後にわかることもあります。ここで紹介した3つの夢は、重要な意味があると感じたので、夢を見た直後に記録しました。
心理学者の中にも、夢にはなんの意味もないという人もいますが、実際に夢をよく分析すれば、それは明らかに間違いであることが分かります。確かにたいした意味のない夢もたくさんあるのですが、夢にはたくさんの種類があり、意味深い夢もあることは確かです。大きく分けると、夢はふたつのグループに分けることができます。
第一のグループの夢は、心身の状態を表現している夢や、無意識の願望や葛藤を表現している夢です。これらは内面が表現された夢であり、オーソドックスな深層心理学的な解釈ができる夢です。
第二のグループの夢は、未来を予知する夢や、遠く離れた場所での出来事を伝えてくれる夢です。この種の夢は、重大な病気、事故、災害、戦争、誕生、死などがコンテンツになることが多いです。古くから正夢とか予知夢と呼ばれるもので、ユング心理学では共時性(シンクロニシティ)による夢と説明されます。自己の境界を超え、時間と空間を超えて情報が伝わることが特徴です。私は特に親族の死、事故、大きな病気については、何度も予知夢を見たことがあります。夢枕のような正夢を体験している人は非常にたくさんいることが私の大学の授業の調査でも確認できています。
別の分け方もあります。第一は、人生に対するメッセージ性を帯びた重要な夢で、これは大きな夢(Big Dream)といいます。第二は、日常的な些細な出来事や印象に残ったことを反映しているに過ぎない小さな夢(Small Dream)です。小さな夢は私は記録はしません。
このような夢の種類を識別し、解釈の方法を知っていると、夢から多くの重要な情報を得て、深く全体的な生き方ができるようになります。夢によって自分の心身の状態や無意識を知ることができたり、大きな出来事が起きる前にあらかじめ心の準備をしたり、生きるヒントを得られることがあります。このような夢との付き合い方を心得ていると、心理療法では他者援助に役立てられることもあります。ちなみに、誤解される方が多いので付言しておくと、夢の内容をインターネットで検索しても、あまり意味はありません。夢は夢を見る人が置かれた固有の内外の状況を踏まえてはじめて的確に理解できるものですから、夢辞典を引いたり検索をしても、当たらない場合も多いのです。
4.夢の解釈仮説
先ほど紹介した3つの夢について、私は布団の中で次のような解釈の仮説をメモしました。
第一の仮説は、第一グループの夢の解釈ですが、私の中にある怒りか、私の周辺にいる人の怒りが、象徴的にマグマの噴出、津波、車の爆発として現れているというものでした。しかし、小さな怒りはいくつか思い当たることがありましたが、噴火・津波・車の爆発というほどの強力な怒りが自分の中にあるとは思えませんでした。私の周囲の人も思い浮かべてみましたが、私を嫌っている人はいたとしても、これほど激怒している人がいるのか、やや疑問が残りました。
第二の仮説は、第二のグループの夢解釈で、実際に火山が噴火するという可能性です。私は富士山のすぐ近くに住んでいますし、湖も比較的近いので、もしかしたら噴火するのかもしれないと思いました。しかし、この解釈では夢3の車の爆発の意味が不明でした。
第三の仮説は、第二のグループのメッセージ的な夢で、マグマ、噴火、津波、爆発に象徴されるような大きな出来事が起き、その後、夢2ように美しい天国のようなところに趣くというものです。もしかして近い将来私は死んでしまうのかもしれない、しかし死後はよいところに転生するということかもしれない、と考えました。
どの解釈にも確信を持つことはできませんでしたが、この3つの夢が無意味な夢ではなく、意味のある大きな夢であることだけは分かっていました。夢の大小の識別は、夢の内容、夢を見た時間や、インパクトの強さや鮮明さによってある程度察しがつくのです。
5.病院で死にかかる
夢3を見てからおよそ1ヶ月経った春のある日、突然の出来事に襲われました。私は事故に遭い、救急車で病院に搬送されました。血管が破断して出血が止まらず、治療室のベッドは血の海になりました。医師が傷口を指で抑えて、血が吹き出るのを堰き止めていました。私は震えが止まらず、歯がガチガチと音を立てながら、医師に「なぜこんなに震えているのでしょうか」と尋ねました。医師は、「大量出血によるショック症状です。危険な状態なのですぐに手術します」と応じました。私は寒さと意識が遠のく感覚に襲われていました。そして傷に激痛が走り、思わず「ぎゃー」と叫びました。医師が血管を縫い付けているのです。「先生、麻酔は打ってもらえないのですか?」ときくと、「血圧の上が60を下回っています。この状態では麻酔は打てません。このまま縫います」といいます。野戦病院のような状態で、激痛でさらに意識が遠のきそうになります。
このとき私は思いました。「これは死ぬかもしれないな。それなら今こそ瞑想をする時だ」と。私は治療を受けながらヴィパッサナー瞑想を始めました。瞑想の対象は、次から次へとやってくる激痛、震えがとまらない寒さ、血の気が引いて意識が飛びそうななんともいえない感覚でした。「私の痛み」という妄想を離れて、「ただ痛みがある」と、痛みを他人事のように、詳しく痛みや身体の感覚を観察するよう務めました。「まだ呼吸をしているぞ、まだ生きている、痛みがある、『ぎゃー』(さすがに激痛が来ると反射で叫んでしまいます)、叫び、強い痛み、震え、歯がガチガチ音を立てる、痛み、意識が遠く、まだ呼吸できている、看護師さんが耳元で必死に励ます声が聞こえる(見ず知らずの私のためにすごく親身になってくださるなぁと思う)、痛み、痛み、『ぎゃー』、激痛、……」このように、緊急手術を受けながら、身体の感覚を観察するヴィパッサナー瞑想を行っていました。
6.もう一度修行したい
このような死に瀕して手術を受けながら、不思議なことですが、私は「あれ、結構瞑想ができるな」と思いました。アビダンマ(論蔵)には、死ぬ直前の心の状態が、次の転生の人生の青写真になると書かれていることを思い出し、もしも今心が乱れて死んでしまったら、次の人生が大変なことになってしまうかもしれない、という考えが浮かびました。だけど、今は、瞑想ができているので大丈夫ではないか、と確認出来ました。そして、もしこのまま死ぬとしても、未練はないなと思いました。やるべきことはやれた人生だと思ったのです。しかしそのすぐ後に、「もう少し修行をしたかったな」という考えが浮かんできました。「今回の人生でダンマに出会い、修行することができ、深い瞑想を体験できた。本当によい人生だった。でも、せっかくここまでいろいろ来られたのだから、できればもう少し修行を進めておきたい」と思ったのです。「もしもこのまま死んでしまったら、また人間に生まれ変われたとしても、赤ん坊からやり直さなければならないな、それはなかなか大変だから、できれば今回の人生でもう一度、集中的に修行したい」と思ったのです。そう思っているうちに、意識が薄れてきて、まもなく意識がなくなってしまいました。
7.命は尽きず
どれくらいの間、意識を失っていたのか分かりませんが、あるとき再び意識が戻ってきました。視界が明るい感じがしたので、「悪いところに生まれ変わったわけではなさそうだ」と思いました。目を開けてみると、死んで転生したのではなく、病院のICU(集中治療室)のベッドの上でした。身体の周りには湯たんぽのような暖かいものものが敷き詰められ、体温を上げているようでした。酸素吸入器の管、点滴の管、導尿管が身体に取り付けられ、身動き出来ない状態でしたが、意識が回復したことに看護師さんが気づいて、ベッドサイドにきて「気づきましたか。よく頑張りましたね」といってくれました。意識を失うまで、血まみれの治療の場でずっと親身になって声をかけて励ましてくれていた方でした。死にそうに大変な状況でも、強い想いは伝わってくるものだと思いました。しばらくすると治療してくれた医師がやってきて、「石川さん、あと十分救急車が遅かったら助かっていなかったですよ。血液の3分の2が流出してしまいましたから、ギリギリのタイミングでした」と伝えて下さいました。「そうですか、それはありがとうございました」と御礼を述べました。救急隊の方、医師、看護師さんたちの必死の処置のお陰で、今回の人生をもう少し生きられることになったのです。いただいた命だなと思いました。
4日間ICUにいましたが、順調に回復し、点滴以外の管はすべて外すことができるようになり、一般病棟の病室に移りました。そこであと2週間ほど治療を受けることになりました。私はずっと忙しい生活をしてきたので、職場にも入院の了解が取れて、ゆっくりできるよい機会だと思いました。静かに瞑想したいと思ったので、出費は覚悟で個室の病室を希望しました。富士山麓にある富士吉田市立病院というところに入院していたので、「できたら富士山側の病室をお願いします」と希望を伝えました。すると丁度富士山側の部屋が空いたというので、そちらに移動できました。私は自宅の寝室からも富士山が大きく見えるのですが、病室でも大きく目の前に富士山が見えました。自宅とは少し角度が違うので、微妙に異なる富士山の姿をベットに寝ながら眺めることができました。
病室から臨む富士山
8.富士山が明滅している!
アマゾンで見た明滅する山(拙著『修行の心理学』152ページより)
病室で横になって富士山を眺めていると、ある時、あのどっしりしている富士山が、非常に速いスピードで明滅していることに気づきました。血が足りないために眼がおかしくなったのかとはじめは疑ったのですが、血液量が十分回復しても同じように見えるので、身体的な障害ではないようです。眼球を動かしても明滅は影響を受けないので飛蚊症などの眼の病気でもありません。
富士山だけではなく、雲も、建物も、病室の壁も、ベッドも、自分の手も足も、すべてチラチラと素早く明滅して動いているのが見えました。ははーっ、物質は不動の固形物のように見えているけれども、それは見せかけの姿で、本当はこうなっているんだな、と思いました。私はそれを面白がって観察していました。暗くなっても同じように見えるので、日が沈んでも部屋の電気をつけずに明滅する様子を観察していたのですが、看護師さんが入ってきて、「あれっ、お部屋暗いですね。電気つけますよ」といって電気をつけてしまいました。本当は暗いまま眺めていたかったのですが、説明したら病気だと思われそうなので黙っていました。
私は2012年に奥アマゾンのジャングルでシャーマンの儀式に参加したときのことを想い出しました。ある儀式が終わった後、私は眠れなくて真夜中にジャングルのなかの開けた場所で、倒木に一人で腰掛けていました。すると突然、色とりどりの光が蠢く山のヴィジョンを鮮明に見たのです。この時のヴィジョンは、もしかしたら富士吉田病院で富士山の明滅を見ることを予示していたのかもしれないと思いました。アマゾンでは実在していない山を見るヴィジョン体験でしたが、今回は実際に存在している富士山が明滅しているのを目撃したのです。(アマゾンでの光る山のヴィジョン体験については拙著『修行の心理学』の150~153ページに書かれていますので関心のある方はこちらをご参照下さい)
9.入院リトリート
こうして、物質の明滅を見つめる瞑想を楽しみました。身体が回復してくると、背筋を伸ばして座る瞑想もできるようになりました。仕事やスケジュールに追い立てられないので、入院生活はゆったりした気持ちで過ごすことができ、リトリートのように瞑想し、満ち足りた心になりました。この「入院リトリート」によって、身体をしっかり休めて回復させると同時に、俗世間で疲れた心もリフレッシュすることができました。
思えば、死にかかったお陰で、いろいろな恩恵がありました。第一に、激痛に見舞われて死にそうなときにも瞑想が出来たこと。これで、少しですが、死ぬ自信がついたかもしれません。第二には、今死んだとしても、今回の人生には満足できていて、無念はないと思えたこと。第三には、できれば今回の人生でもう少し修行をしておきたいことがハッキリしたことです。
この事故は、一般的に見れば不幸な出来事なのですが、私の中ではギフトのような時間でした。死に直面して人生をゆっくり見つめることができ、物質の明滅を見る眼が開かれ、ゆっくり休んで蓄積した疲れを取ることができたのです。丁度春休みだったので、授業を休講にすることもなく、学生に迷惑をかけずに済んだのも幸いでした。退院した次の日から大教室で授業を行うことができました。大学に勤めておよそ20年になりますが、死にかかったお陰で、新任のような新鮮な気持ちで授業をすることができました。命がギリギリのところまでいって危なかったのですが、振り返ってみると、結果的には計画されたかのようにすべてがうまくいったのです。
10.夢の種明かし
こうして、先述の3つの夢の解釈を確定することができました。内面の怒りという解釈仮説1や、火山噴火の予知という解釈仮説2は棄却されました。解釈仮説3が正解にもっとも近かったと思いますが、若干の修正が必要です。
流れるマグマ、噴火、爆発は、血管が破断し、血が大量に噴き出してしまうことを示す予知夢だったと思います。車の爆発は、それが事故によって突然起こることを暗示しています。マグマに押しつぶされる家屋は、身体を象徴し、身体が壊れそうになることを示しています。噴火の後、津波で湖が出現し、天国のように美しい透き通った湖を泳いだのは、ICUを出た後に、人生の総括と今後の目的を整理でき、個室でリトリートのような恵まれた瞑想的時間を過ごし、富士山の本当の姿をみて喜びを覚えたことを象徴しているように思います。幸いにも、死んで天国に行くのではなく、生きたまま天国を味わい、再びこの身体で生きるチャンスが与えられたのです。
こうして、事故・入院という不思議な恩恵を通して、心は次の段階に進むことができました。そして、もう一度、今回の人生でしっかりと修行に取り組もうという気持ちが確立し、2回目の短期出家修行に向かったのです。
(つづく)
第2回 編み出した修行の要諦