【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「暴言を吐く病院スタッフへの対処法」です。
[Q]
寝たきり状態で入院中です。私の他はお年寄りの患者ばかりで認知症の人もいっぱい入院しています。職員の方々には良くして頂き感謝しております。しかし一部の職員が、お年寄りをからかったり、ばかにしたり、心無い事を言うのです。そのような場面(主に人の少ない夜勤帯)に出くわすとこらえきれず人間として怒りがこみあげてきます。私も介護してもらっている立場として何も言えず何もできません。気にせずいるのにも罪を感じます。このような職員とはどのように接すればよいか、良い考え方があれば教えてください。
[A]
■憐れみをもって接すべき極限に無知な人々
このスタッフのような行為は、「私は元気だ、病気にならないのだ、歳を取らないのだ、私は大丈夫だ、この人々(年寄り)は邪魔な存在だ」といった傲慢で、極限に無知な感情・思考に覆われているから起こるのです。大変な罪を犯しているということです。
仏教では、不幸に陥った、病に伏して立ち直る見込みのない方々や、亡くなった方々などを見ると、まずこのように考えます。
「これは生命の本来の姿なのだ。私も同じだ。私も似たような状態、また、より酷い状態に陥る可能性は、そうならない可能性よりもはるかに高いのだ。私も必ず老いて死ぬのだ」と念じて、こころの傲慢をなくすのです。それから、自分自身にお世話するような気持ちで相手のお世話をするのです。「病弱な方たちの面倒を看ることができて、自分は恵まれているのだ」と思うのです。
というわけで、病弱な方たちに残酷な態度を取る人々に対して、憐れみをもってアドバイスをしなくてはなりません。なぜ憐れみを持つのかというと、お年寄りよりもお世話する人々の方が病気だからです。その人々の将来は大変暗いからです。話す時には順番があります。
■相手にアドバイスをする時の順番
①褒める。
②自分の意見として説明する。
③態度を変えること・見直すことは相手の自由に、判断に任せる(いわゆる命令はしないことです)。
詳しく説明します。
①心無い言動をするスタッフに「大変お世話になっています。心から感謝しています。あなた方の苦労は痛いほどわかります。あなたの笑顔や真剣な様子を見ると尊敬せざるを得ません」などの言葉をかけるのです。適切に、相手の性格に合わせて、言葉を調整して。また、具体的に相手の何か善いところを見いだすのです。
②意見を述べる場合は、「私が読んだ仏教の本に、このようなことが書いてありました。年寄り、病弱の人、死人を見たら、『これは生きている誰にでも訪れることだ。このような状態に陥らないで済むように免除されている人はいないのだ。この苦しい姿は私自身の確実な未来なのだから、私に謙虚な人間になれと戒めてくれているのだ』と念じなさいと。私はこの話は現実的で本当のことだと思います。この仏教の考えを知ったその日から、不幸になっている人を見たり、悲しいニュースを見るたび・聞くたびに、「私もそうなるかもしれません。『優しい心を育てなくてはならない』と自分を戒めることにしたのです。上手く行っていませんけどね」と話してみるのです。
③沈黙します。まずは①や②のように努力して欲しいのです。良い結果になればありがたいのですが、他人の心は信頼できないものです。良い結果にならなかったらご自分の病院生活を充実させることにしてください。身体が病気で倒れても心を育てるチャンスは失ったわけではありません。また、死ぬ時は肉体を持って行くのではありません。持って行くのは自分の〝心〟ですから、心を育てて清らかにすれば、病気は「鬼に化けた天使」のように感じます。『慈悲の瞑想』(巻末の『慈悲の瞑想の言葉』参照)を行なって下さい。仏教の真理を学んでください。他人から参考にされるような、模範的な人間になることに挑戦して下さい。
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