アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「意欲や意志はどこから現れるのか?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

   
意欲や意志はどこから現れてくるのでしょうか?    意欲や意志は必要に迫られて現れてくるのか、何もなくふと現れてくるのか、どのようなものなのでしょうか?
 

[A]


■因果法則によって現れるのです

    意欲や意志も因果法則によって現れてくるものです。今おっしゃったように「必要に迫られて」ということもわかりやすい例ですが、物事の流れによって、自然法則によって、意欲が生まれてくるものなのです。しかし、意欲の場合でも感情が混ざっているので、あってはならない意欲まで生まれてきます。感情が混ざらない場合は、自然な意欲だけが生まれて終わります。意欲というのは、感覚から生まれてくるものなのです。感覚とは、心(認識機能)の働きです。
    例えば立っているとしましょう。そうすると足が痛いという感覚が生まれます。そうすると「座りましょう」「座りたい」という意欲が生まれてきます。その意欲で座っただけで、足の痛みが消えることは意欲には関係ありません。そのまま座っていると新たに座っていることが苦しくなってくるのです。そうすると「立ちましょう」「立ちたい」という意欲が生まれてくるのです。
    ですから、そのように感覚から瞬間、瞬間に意欲が現れてくるのです。そこに感情が入ると自然ではない変な意欲になってしまいます。例えば、今、私に「座りたい」という意欲が生まれて座るなら、今、この場所にある椅子に座ります。そこで「こんな椅子に座りたくない」とか「もっといい椅子はないのか」と言ってしまうと、環境が壊れてしまいます。感情という自我が割り込んでくると気持ちの悪い意欲になってしまうのです。余計な自我が無ければ自然法則によって流れるのです。



■出典      『それならブッダにきいてみよう:こころ編3」

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