ディーパンカラ・サヤレー 


ディーパンカラ・サヤレーはミャンマーのテーラワーダ仏教長老尼で、パオ・セヤドーの直弟子として修行した優れた瞑想指導者として、ミャンマー国内外で知られています。在家の法友グループの「はらみつ法友会」は、ディーパンカラ・サヤレーを毎年日本に招請し、瞑想リトリートを開催しています。リトリートでの法話は主に英語で話されますが、はらみつ法友会の有志により通訳されています。今回は、2008年1月6日および2013年1月2日のサヤレーの日本でのリトリートでの法話の中から、「慈しみの瞑想」についてのお話をお届けします。


第1回    瞑想中の心への対処


■集中力を付けるのはなぜ難しいのか

    リトリートも数日たったので、瞑想が少しずつ進んでいることと思います。順調に進んでいる人もいるでしょうし、妄想や眠気と格闘している人もいるでしょう。ここではなぜ集中力をつけるのが難しいのかということについてお話しします。

●35歳から45歳

・自分を愛しすぎている
    その理由の一つは、自分自身をあまりにも愛しすぎるからです。心に心配や不安定な背景があると一つの対象に安住していられないのです。一つの対象に集中することが難しいのは、対象に集中することに安心していられないという気持ちがあるからです。それでたくさんの対象に心が向いてしまいます。たとえば心理的に言って、35 歳から45 歳の独身者は心が不安定だということがあります。なぜ不安定なのでしょうか。たとえば25歳から35歳の間というのは、自信があり、お金さえあれば心配はいらないという気持ちでいます。お金があれば大丈夫と、自信があります。お金を稼ぐことに忙しく、退屈や恐れを感じる暇もありません。自信に満ちています。
    35歳を過ぎると貯金もでき、将来のことを考え始めます。家族と共に長くいると退屈を感じます。そして、孤独感を感じるようになります。40代、 50代になってくると、自分が病気をしたときに誰が面倒を見てくれるのだろうか、という心配が出てきます。そういうときに自分の甥や姪を見てみると、彼らは自分ではなく、自分のお金を愛していることに気付きます。それで彼らを信じていいのだろうかという気持ちになります。それは独身者だけのことではなく、子供を持っている人にも当てはまります。子供たちは自分の面倒を見てくれるかどうか分かりません。家族のある人もそういう問題を持っています。
ですから 35 歳を過ぎた独身者の場合、一つの対象に集中するのが難しいということがあります。心の中にいろいろな心配事があるからです。それが独身者にとって集中するのが難しいことの一つの理由です。

・愛する対象を持つ
   
ではどうしたら良いかというと、独身者は誰かを愛すると良いのです。結婚ということは大変かもしれませんから、自然を愛するとか、動物を愛するとか、すべての人を愛して幸せにするとか、そうすると良いでしょう。そのようにして、心が内側に閉じないようにしていきます。あまり自分のことばかり心配していると、他の人や自然のことを忘れてしまいます。ですから社会的なことに目を向けたり、グループを作ったり、自然に親しむとか、そういう風にしてリラックスすることが必要です。あるいは慈しみ(メッタmetta)や悲(カルナーkarunā:苦しみへの共感)の実践をすることによって心が落ち着き、バランスを取り戻して、心をコントロールできるようになります。

●家族のある人

・数多くの執著の対象
    今度は家族を持っている人たちですね、これもまた別の悩みがあって、妻子への心配であるとか、仕事がうまくいっていないとか、そういう悩み事が出てきます。家族を持っている人たちの心配というのは、自分を愛するとか、お金や仕事や家族を愛するところからきます。自分の家族だけがうまく行けばいいと思っていて、他の人たちと分かちあうことがありません。自分や家族とその外側に境界線を引いていて、財産を失うのではないか、と心配しています。
    その場合には執着というものがあって、もっと快適な生活がしたい、もっとお金を儲けたい、仕事を変わるならどれがいいだろうか、より多く稼ぐにはどこが良いか、などの計画が心の中にあって、考える対象がたくさんあります。心はいつも忙しく、一つの対象に集中することが難しいのです。ですから家族を持っている人も、そのような問題によって、集中するのが難しくなります。

・一つの対象に絞る
    私たちは、ただ一つの方向、一つの対象に絞ってそれを貫くということを学ぶ必要があります。そうすれば瞑想においても仕事においてもうまく行きます。何かの仕事をはじめようと思って決意したら、その仕事の性質を調べる必要があります。そして、どのように進めていくかを考えて努力します。はじめは、うまく行かなくても良いのです。何度も何度もやってみて、多くの経験を積んで行けば、うまく行くようになります。
    勉強する時でも他の対象でも、心を集中させることが大切です。たとえば呼吸に対して10分間でも集中しようとすると、はじめはうまく行かず、心が騒いで妄想が起こってきます。それにもかかわらず、「集中しよう、集中しよう」と心を一つの対象に集中して行くことに努めます。そうすれば徐々に妄想に打ち勝つことができます。途中で簡単にあきらめてしまうと、心は一つの対象に集中することに喜びを感じなくなります。

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ディーパンカラ・サヤレー。
リトリートでは夜に法話が行なわれる。

■成功するには忍耐が必要

    それともう一つ大事なことは忍耐ということです。物事において成功しようとするなら忍耐強く行うことが大事です。忍耐強く対象をつかまえることです。何度も何度もやっていくことが大切です。学校に行って勉強するようになると、いかに忍耐力が大切であるかを学ぶようになります。
    これは私の例ですが、大学2年のときに生物の実習で蛙の解剖をしました。辛抱強く、神経系統や、呼吸器系統を調べていきます。器官同士がどのようにつながっているのかを調べます。そのときに忍耐強くやらないと、全体がどのようにつながっているのか分からないでしょう。たとえば脳から神経がつながって出ていますが、その神経系統を細かく解剖して見ていくときに注意して行なわなかったのでバラバラにしてしまいました。忍耐がないと、失敗してしまうということを学んでからは、ゆっくりゆっくり注意深く行うようになりました。そんなわけで、うまく行うには忍耐力が必要だということを学びました。


■ネガティブな感情への対処

●心と体の結びつきを調べる

    また、そのときに神経と心と器官とがどういう風に結びついているかを学びました。たとえば蛙の場合、恐れや驚きがまず体の反応として現れます。そしてそれは人間でも同じわけです。怒りや驚きの心が、体の器官にどのような影響を与えるかを調べます。
    たとえば強盗がこの部屋に入ってきて、いきなりピストルを撃ったら、皆さんどう思うでしょうか?    どのように感じるでしょうか?    今は話の上だけなので、別に怖いということはありませんが、本当に現れてピストルを向けられたらびっくりすることでしょう。そのときに、不安とか驚きとか恐れいうものが、心基(ハートベース)、パーリ語ではハダヤ・ワァットゥ(hadaya-vatthu)と言いますが、そこに起こります。驚くと心臓がドキドキと速くなるでしょう。また腎臓がそこに関わってきて、びっくりするとアドレナリンというホルモンが排出されて、そのことによって非常に興奮するということが起こります。

●バランスを取る

・コントロールできないことは悩まない
    ですから驚くと、心臓の動きがドキドキ速くなったりとか、おしっこを漏らしたりとか、そういう自分ではコントロールできないことが起こります。蛙の実験から類推して、人間においても同じであることが分ります。
    人間でも本当にびっくりしたときは、腎臓からのホルモン排出によって、コントロールを失うということが起こるわけです。心配事や恐れが心の背景にあると、集中することが難しくなります。ですから私たちはまず、心のバランスをとるということから始めなくてはなりません。将来に対して、そんなにあれこれと悩む必要はないし、また自分自身について悩む必要はないのです。

・死随念と慈しみの瞑想
    瞑想の中の一つ、死随念(死を想う瞑想)を行って、「私たちはいずれの日にか死んでしまうのだ」ということを思い起こします。「そんなに一生懸命にお金を稼ぐ必要もないではないか」という風にして見ていきます。そんな風にして自分の恐れなどを手放していくわけですけれども、自分の家族についてや、自分の財産についても手放していくようにします。
    そして、心を安定させるためには、「慈しみの瞑想」が大事です。また死随念をすることによって、自分たちの欲望を減らしていくことができます。そんなに求めても、いずれ死んでしまうのですから。

翻訳・構成・写真:はらみつ法友会
第2回    行動する