アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「将来の夢は妄想なのか」という質問にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

    「将来こうありたい」と前向きに思うことは妄想でしょうか?

[A]

■将来の夢は、あなたの幸福にリミットをかける

    ほとんど妄想の範疇です。今、自分が生きている環境を把握した上で何かに憧れるのですから。その目的に対して、前向きにいろいろ考えたとしても妄想です。遠い将来の目的に達するために、今何をやるべきか発見して実行すれば、簡単に目的に達する可能性があります。妄想かもしれませんが、すぐに実行に移さないと良くありません。
    将来ということについて、少々詳しく考えてみましょう。
    質問の言葉を変えます。「将来のことが気になって考えてしまいます。妄想に時間を無駄に費やさないで生きるためにはどうすればよいのでしょうか?    具体的な将来のイメージはたくさんありますが、強いて言えば、単純に幸福になりたいのです。幸福に達するためにどうすればよいのでしょうか?」このような質問なら答えられます。「いつもベストを尽くす生き方をしましょう」と。今の瞬間、やっていることには何であろうともベストを尽くすのです。つねにベストを尽くす人がベストの生き方をしているのです。
    「未来の計画」というのは、しょせんは汚れた怠け思考から起こるものです。将来の夢とは、欲や怒りによって汚れた心で立てる計画でしかなく、さらに大勝利をして楽をしたいと思う。それは怠けです。ですから将来の夢とは心の汚れと怠けがつくるものになります。当然、将来の計画も汚れていることになります。汚れた良くない計画が実現しても幸福にはならないでしょう。今ベストを尽くす人は本人が思いもよらない方向で幸福になります。将来の幸福を計画する人は、自分の幸福にすごいリミットをかけているのです。

■今を生きる人にだけ将来が見える

    将来の希望を作ることの問題を挙げてみましょう。
①自分の将来に自分でリミットをつくってしまいます。達成できるか否かは五分五分。
②達成したからといって幸福になるとは限りません。挑戦した人がなりたい職業に就けたということはありますが、それで幸福になるとは限りません。
    未来にとらわれず、「やれるところまでやってやろう」という姿勢が正しいのです。気楽ですが、「何ごともベストをつくすのだ」という態度でもあるのです。勉強していていきなり皿洗いを頼まれたらそれも完璧にやらないといけない。「何事もベストを尽くすこと」それが答えです。一分単位で何やっているかといえばすごくシンプルなことです。だからベストを尽くす。簡単ですよ、妄想しなければ。ベストを尽くす人はやれるところまでやります。私たちが将来について具体的な期待を持つと、人生はあまり面白くなくなります。だから、未来にもひっかからないようにする。そういう立場でいる人には将来が見えるようになるのです。


■出典     『それならブッダにきいてみよう:こころ編2』 

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