アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「解脱に導く瞑想とは?」です。

[Q]

    ヴィパッサナー瞑想でないと、悟ることや解脱はできないのでしょうか?

[A]

■瞑想とは「観察する」こと

    悟りに至る瞑想を「ヴィパッサナー」と言います。ヴィパッサナーとは、宗教的な瞑想ではなく、ただ「観察する」という実践です。観察が無ければ何もできません。質問から読み取れる誤解は、瞑想を宗教や信仰として捉えていることです。それは大きな間違いです。ヴィパッサナー瞑想は何かを信仰するような儀式儀礼・しきたりではありません。「観察する」ことです。この言葉や意味に何か特別なこと、神秘的なこと、信仰や宗教性がありますか?    ヴィパッサナー瞑想には何かを信じなさいということは微塵もありません。ひとかけらもありません。

■発展は観察のおかげ

    観察能力が無ければ何もできないのです。料理ひとつできません。人類の進化は自然法則ですが、文化の発展は観察の結果です。高層ビルを建てたり、飛行機や車を作ったり、それは物質の仕組みを観察し理解して、いろいろなガラクタを作ってきたことです。未だに科学者がしていないのは、存在を観察することです。生きることを観察していない。科学者であっても迷信だらけで、宗教の影響を受け、存在・生きることは神や聖書の管轄であるとするのです。過去・現在・未来と、もし人が真理に目覚めたければ、悟りたければ、ヴィパッサナーという方法ひとつしかありません。得体の知れない神に祈ったからといって、精神病院に行く可能性は高いですが悟ることはあり得ないのです。たとえ百年間、念仏を唱えたとしても悟ることはあり得ません。百年は長過ぎですね。ヴィパッサナーでなければ、ひとかけらも智慧が現れません。

■他の修行は無効?

    人はいろんな修行方法を考えて実践しています。結果がゼロであるならば、続くはずはないのです。修行や瞑想の結果として、優しい人間になることや、明るく生きること、他を助ける性格になることなどがあるのです。小さな人格が大型の人格に変わることもあり得るのです。性格として、優しいとか、あまり怒らないとか、良い人ぐらいなら、キリスト教のマリア様でも念じていれば結果はあるでしょう。キリスト教でも真面目に修行している人は、大変性格が良いのです。優しい人間です。日本でもたくさん宗教があります。各宗教の信仰者もたくさんいるのです。何らかの安らぎを味わっているのではないかと推測できます。「なんの結果も無いのに、ただ盲信している」と批判されるような人であっても、その人に盲信が何らかの安心感を与えているのです。
    しかし、智慧はありません。智慧とは、物事を観察することです。信じるのではなく、「本当にあなたが仰っているとおりでしょうか?    自分で確かめてみます」というアプローチなのです。将来、永遠の命を目指すのではなく、生きるとはどんな仕組みなのかと観察して分析して調べ尽くすことです。これ以上、調べるものは何一つもないと発見するまで、観察をし続けるのです。世にある瞑想の文化と宗教の世界では、この宿題はありません。ですから、解脱に達するためには、観察すること(ヴィパッサナー実践)が唯一の方法になっているのです。

■ヴィパッサナーの普遍性

    ヴィパッサナーというのは、科学的な方法です。これは時代・国・文化・人種・性などに、まったく関係ありません。例えば、私たちは飛行機を作り乗っています。これはインド人が作っても、アメリカ人が作っても、中国人が作っても、日本人が作っても、乗って飛べるでしょう。同じ方法、同じ物です。日本人が作る飛行機は、翼が三つないと飛ばないということはあり得ません。飛行機を作る場合は誰が作ったとしても、同じ法則で作るのです。

■目的に達する唯一の道

    真理を発見したければ、悟りたければ、解脱したければ、ヴィパッサナー瞑想をするしかないのです。「瞑想」という単語は、宗教的な意味があるという誤解を招くかもしれません。ヴィパッサナー(明確に観る・観察する)を実践しなくてはいけないのです。他の方法では真理を発見できない、悟れないと断言できます。

■説明の仕方の違い

    ヴィパッサナーの方法について、説明の仕方にはいろいろなバージョンがあります。例えば、子供たちに物事を観察しましょうと言ったら、ある子供には顕微鏡をあげる、ある子供には望遠鏡をあげる、二人ともそれで物事を観察するのです。顕微鏡で見る小さな範囲にも大きな世界・宇宙があるのだと発見することができます。望遠鏡で見る大きな範囲にも、さらに大きな世界・宇宙があるのだと同じ発見をすることができるのです。どちらでも知っているより知らないことの方が多いと理解します。見えている世界に騙されません。

■完璧に説かれた方法

    そのようにヴィパッサナーを教える時も、いくつかの方法がありますが、現代人にも理解できるよう皆様にまとめて指導しています。どんな方法を教えたとしても、すべての瞑想のやり方は四念処経(大念処経)で説かれているのですから、そこから脱線することはありません。不可能なのです。


■出典    https://amzn.asia/d/0u0hhOm 

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