アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「虐待した親にも孝行すべき?」です。

[Q]

    物心ついた時から両親の激しい喧嘩に悩まされ、何度も仲裁に入っては殴られるというDV(ドメスティックバイオレンス、家庭内暴力)家族に育ちました。凄まじい暴言・暴力の記憶は消えることがありません。
    「一生分の親孝行をした」という思いでいますが、高齢になった母に、介護などでまだ尽くすのかと思うと暗い気持ちになります。
    もう子供も手が離れたのにまだ親孝行すべきでしょうか?    慈悲の瞑想をしても、両親に対しての憎しみが消えません。


[A]

■両親を憎んでいたら親孝行は成り立たない

    両親に憎しみがあるのだったら親孝行していることにはならないでしょう。ここで問題なのは、あなたが彼らの苦しみを感じていないことです。性格の合わない二人が結婚してから「性格が合わない」ということを発見したのに、さまざまな事情で別れることができなかったなんて、大変だったんだろうなと。
    「性格が合わない」と発見した時には、もうあなたが生まれていて、取り返しがつかない状態だったかも知れません。両親は地獄にいながら、あなたの面倒を看てあげていました。その苦しみをイメージしてみてください。
    夫婦はそう簡単には別れられませんから、その間は精神的な苦しみを受けることになります。だから大変なのです。あなた方の業もありますから、優しくて楽しい、笑いでいっぱいの家族で育ててもらう業が無かったのでしょう。人が生まれる時は親を選んでそのお腹に入るのです。だからお互い様なのです。

■DVで夫婦が大喧嘩してしまう場合は

    子供が生まれた途端に、花が咲いたように夫婦仲が良くなる場合もあります。それは子供の業、善業のおかげなのです。「この子には微塵も悲しみは与えない」と、二人が自分自身で決定するのです。「この子は可愛いね!」と言うと相手も「可愛いね」と同意してくれる。泣き出したら「では私があやしてくるね」と、子供を中心にすることで、夫婦が何事もなかったように仲良くなる場合もあります。ただ、子供の存在で救われない親もいるのです。「子供は我儘!    私たちは被害者だ」とか。「私たちは充分に可愛がってもらえない」と被害者モードになるケースもあります。ど
    とにかくあなたの場合は親孝行をしていません。両親に対して憎しみが消えてないということは、そういうことです。取り敢えず両親の世界をシミュレーションして、彼らの苦しみをイメージしてみてください。そうすると何とかわかると思います。親が生きている間はやはり親に感謝しながら、親の面倒を看なければいけないのです。それは逃げられない義務です。



■出典    『それならブッダにきいてみよう: 瞑想実践編4』
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