理解を超えた非合理な、しかし必然的な、「生きて死んでいく」ということが、大慈悲のはたらきによるものだとすれば、その慈悲のなかで無手の私は、何も与えられなくとも、いや与えられないからこそ、確信を持って「大丈夫」と言えるはずです。


日髙明(みつみ庵ケアスタッフ    浄土真宗本願寺派僧侶)
(サンガジャパンVol.30 「死と看取りの現場における『慈悲』の力」)
※肩書は掲載時