島薗進(東京大学名誉教授)
ジョナサン・ワッツ(INEB理事)

日本における仏教と社会の関係、そして「エンゲージド・ブッディズム」とは何か。そもそもの定義や具体的な出来事、歴史を紐解いていただきながら全体像を知り輪郭を描き、その意義と現代的な課題を、エンゲージド・ブッディズムに詳しいお二人に伺いました。全8回の第7回。


第7回    修行と社会活動


●修行の位置づけ

──ティク・ナット・ハンのプラムヴィレッジの活動や、タイのパイサーン師など開発僧の活動を見ると、まず瞑想修行がある。気づきの修行をした上で、社会的活動もするということのようです。そしてそれが在家者の活動にも反映されていっているように思います。何をするにせよ心を調(ととの)えて活動するほうが効率的にもいいでしょうし、仏教的にも活動の理解も深まると思うのですが日本では修行するお坊さんと社会活動するお坊さんが別れている気がします。そのあたりはどうお考えでしょうか?

島薗    日本はやっぱり浄土教の影響があって、浄土教は行を基本的にそう強調しないですね。称名念仏だから南無阿弥陀仏を唱えるだけ。しかも親鸞の浄土真宗になると心の中で信じるだけでいいみたいになってくる。そんな伝統があって、「末法の凡夫」という自覚があるからこそ庶民にも受け入れられる形で、難しい修行はしなくていいというのがあった。しかしそれでは庶民も何か満足できないというのが、近代になって日蓮系の在家仏教が広まったひとつの理由です。近代の日蓮の仏教は生活実践の中での仏教なので、もちろん朝夕のお勤めとか読経とか、一定程度の瞑想もするかもしれませんが、むしろ生活の中にこそ仏教がある、という流れが日本ではかなり大きいです。
    なので、現在の瞑想重視は、テーラワーダ仏教からも来ているし、欧米の仏教からも来ているし、チベット仏教の影響なのかもしれません。そういうのに、まだ慣れてないというか、そっちの方向へ向かっていく人もいると思うのですけれども……