【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「最強の護身術とは?」という質問に、スマナサーラ長老が答えます。
[Q]
世の中には、危険や災難が満ち溢れているように思います。それらから身を守るために、セキュリティ会社から神社のお守りまで、様々なメニューが提示されています。しかし、どれも決め手に欠くように思えるのです。「私たちはどうやって身を守れば良いのか?」という事についてブッダの教えからアドバイスしていただけないでしょうか?
[A]
■お守り文化の正体は「怯え」
それでは「身を守る」ということについてお話しします。
私たちは、いかにして身を守るべきでしょうか? 日本にはお守り文化があります。神に守ってくださいと祈る文化は世界中にありますが、たくさんのお守りをぶら下げる文化は日本独特のものでしょう。
お釈迦様の立場からはそういうモノはまず認めません。お釈迦様は「モノには頼るな」と説かれています。そうは言っても人は何かに頼りたいものですよね。像などを建てて「どうぞお守りください」と拝むのです。人間は何かに守って欲しいのですが、お釈迦様は「それって結局、怯えだよ」とおっしゃいました。
私たちに「怯え」が無かったらどうなるでしょうか? すごく楽になるのですね。
■将来への不安は、危険な「現実離れ」
日本だけじゃなく世界中に迷信はあり、西洋人も迷信的な事を頑として信じています。私たちが怯えているのは先が見えないからです。先は読めないし、知る事は不可能です。でも、知りたがるのです。無理なことをしようとするから、不安や怯えが生まれるのです。新幹線の電光掲示板を見ても、企業PRが流れて「◯◯で明るい未来を築こう」と謳っていますが全くのウソばかり。実際は、未来ではなく「今」必要なものを作って、売りさばいて必死に生きているだけです。人々も「今」欲しいものを買っているのですから、未来はいらないでしょう? 今の問題を解決すればそれで人生は解決するのです。
「将来」という言葉はとても危険です。現実化していないことを妄想しているからです。例えば、現在十四歳の女の子が、最初に産む子が男か女かなんてわかるはずがありません。政治家の公約のように、調子に乗ってあれこれ決めて、後から撤回するのは情けないです。将来を知ろうというのは試験問題をあらかじめ知ろうとするのと同じですから、将来のことは放っておいて下さい。とても気持ちが楽になりますよ。
■今を生きる人に「お守り」は不要
「お守り」が守ってくれた試しは、歴史上一度たりともありません。実は、スリランカには「鉄砲に撃たれても当たらない」というお守りがあります。大変高価なお守りですが、自分で試してみる人はいないですね。効果ゼロなのに信仰だけはしっかりあるんです。人間は愚かだからいつでも先を読もうとします。そうではなく「今日は悔しくない生き方をするぞ」「今日は悩まない生き方をするぞ」「今日は失敗しない生き方をするぞ」と決めれば、明るく活発になってビシビシ生きられます。でも、そう話してもなかなかわかってはもらえません。
お釈迦様の時代、ブッダの弟子はお守りを持っていませんでした。余計なモノは何も持ってなかったのです。私も日本に来てお数珠を貰ったことがあります。でも、ある有名なお坊さんが、「私は数珠を持っているとすごく落ち着くんです」と言うのを聞いて、「こんなものを持つのはかっこ悪いんだ、これからは持たないぞ」と思って捨てました。だって、落ち着きはお数珠の問題では無く、自分の心の問題ですから。
■「五戒」こそが身を守る唯一の手段
お守りも、ありがたいお数珠も持たないで、私たちはどうやって身を守ればいいのでしょうか? 「五戒」こそ身を守る唯一の手段です。五戒を守っていれば、他から全く攻撃を受けません。むしろ攻撃しようとした人が協力してくれることになります。私たちがこの世界で身を守る手段は、戒律なのです。
私は「戒律」という手垢の付いた言葉を別な単語に入れ替えたいのです。それは「バレたらヤバいことはしない」です。必ずしも項目は五つでなくても構いません。あるお坊さんが「戒律が複雑すぎて守れません」とお釈迦様に相談されたのです。お釈迦様は「いつでも心が汚れないようにしてください。それだけ守ってください」とおっしゃいました。そのお坊さんは「釈尊が自分のために特別に教えてくれた」と喜んで実践して、二十四時間、心が汚れないようにと実践し、あっという間に悟りに達したのです。
「いつでも心が汚れないように」というお釈迦様のアドバイスは、出家者以外には現実的に難しいと思います。商売をしたり、家族の面倒を看たりしても心は汚れてしまうのですから。だから実践できるように「五戒」になっているのですね。五戒の中に「酒を飲むなかれ」という項目がなぜ入っているのでしょうか? それは心が汚れるからです。大人しく酒を飲んでいても、ジワジワと心が汚れていくのです。不飲酒戒は破ったらいちばんヤバイ戒律です。酒を飲むと人は判断力が無くなるのです。
酒は日本の文化だと言っても、仏教は文化に価値に重きを置きません。文化とは毎日変化するもので、実は大したことない代物です。文化のために命をかける必要は無いのです。人間の便利に合わせて変えればいいだけです。日本では神様にお神酒を捧げますが、酔っ払っているのだからこちらの願いなんか聞いてくれませんよ。
■過去への不安は「懺悔」で解決
仏教に「お守り」は無いですが、私たちをきちっと守ってくれますよ。それは証拠がいらないほど確実です。「バレたらヤバイことはしない、今日から」と決めるだけです。それで何の問題もありません。今日から決めたとしても、これまでした悪事の分でダメになるんじゃないか、と不安になるかも知れません。その不安にも対策があります。それは「過ちを素直に認めること」。あやまちを隠さないことです。それで周りは攻撃できなくなります。今までに自分が恥ずかしいことをした憶えがあるなら、「はいそうです、確かにそうでした」と言えば解決します。仏教に懺悔の文化があるのはそのためです。昔の事は気にしなくていいのですね。過去の過ちを隠すことは却って罪になります。さらに、死後の心配までするのなら「慈悲の瞑想」をすれば何の問題も無くなるのです。
■出典 『それならブッダにきいてみよう:ライフハック編』