【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「大切な人が罪を犯してしまったときの、心の対処法」です。
[Q]
すごく大事に思っている人が、他の命を奪うような取り返しのつかないことをしてしまった時に、悲しい気持ちと許せない気持ちがあります。どういうふうに思えばいいでしょうか?
[A]
■他人を裁く権利など無い
まず、自分には他の人を裁く権利は無いということです。できる範囲で困っている人を助けてあげるのは立派な生き方です。ですから、許す/許さないということではありません。世の中では、皆の間違った判断でいろいろなことが起こります。それについて、私が許す/許さないかということは関係無いのです。
許す/許さないという気持ちは結局、人を裁きたいという気持ちでしょう。それは悪行為をするよりもタチが悪いのです。悪行為をした本人は悩んでいるかもしれません。落ち込んでいるかもしれません。しかし、赤の他人が許す/許さないとなると、態度がやけに大きいのです。
■冷静な心で物事を観る
「裁きたい」という気持ち自体を、何とかして控えて、抑えて、冷静な心で物事を観るようにしましょう。それから、悩んでいる人に対しては、自分ができる範囲で助けてあげるのです。助けることが全くできない、不可能だとわかったなら、まぁ仕方ないということにします。
例えば命を奪った人であっても、その人が「お腹が空いた」と言ったら食べる物をあげてください。「人の命を奪ったお前に食べるものなんかやるものか」と言ってしまうと、その人も悪行為をしたことになるのです。そうではなく「何が食べたいのか?」と聞いて食べものをあげる。それはそれとして、自分がした行為の結果を受け止めなくてはいけません。「法律に触れますから私は通報します。でも、あなたのことを憎んでも恨んでもいません」というのが正しい生き方ではないでしょうか。
■「裁きたい」気持ちは人間の欠点・弱点
ポイントとしては「裁く権利はない」ということです。しかし、私たちはすぐに人を判断して、自分勝手に裁いてしまいます。どんな人間でも欠点・弱点を持っています。この欠点・弱点を直すことを人格向上と言います。人を裁かない人間になること。これは自分のためでもあります。周りの人も何かに悩んでいますが、あなたが全てをケアしてあげることはできません。ですから、できる範囲で助けてあげればいいのです。それだけです。
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