アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「災害に対する日常の心構え」です。

[Q]

    自然災害で被災されている方々がいます。一瞬で家族や資産を失ったり、住み慣れた場所を追われたり、そのショックを思うと何とかしたいと思うのですが、私たちが今できることは何でしょうか?
    また、明日自分がその立場になってもおかしくないと思います。災害に遭った時や何かを失った時、落ち着いているためには日頃からどんなことに気をつけていると良いでしょうか。


[A]

■困っている人を助けるのは当たり前

    困っている人を助けることは人間の基本でしょう。宗教も政治信条も関係ありません。改めて説教するまでも無いことです。
    自分のできる範囲で手を差し伸べてください。百人は無理ですが、一家族ぐらいならうちへ仮住まいしてくださいとかね。自分の贅沢をちょっと控えることになるだけです。でもそれで他の人が助かるのだから、すごい喜びや充実感を感じますね。
    それから、自分も災害に遭うかも……ということですがその通りです、誰でも災害に遭う可能性はあります。
    被災するとなぜ困るのかということを考えましょう。「私の物」が無くなると困るということなのです。無くなる物、壊れる物は私のものでないと思うと別に困らなくて、命だけを守ろうということになります。「私の家が洪水で流された」と思ってしまうと、居ても立ってもいられないほどの悲しみが生まれてくるのです。その悲しみは「私の」という執着が作るものです。流された家は「自分の家じゃないんだ。勝手に自然から材料を持ってきて組み立てた物だから。自然が取り戻しているだけ」という風に思えば何となく気楽になります。必要なのは精神的に落ち着いて、微笑んでいることなのです。被災した方をテレビなどで見ると、明るさをできるだけ保とうとしていて素晴らしいことだと思います。物事すべて、この身体さえ私のものではないのですから。それを「私のものだ」と言ってしまうのですごい苦しみ悩みが生まれてくるのです。
    例えば、隣の家が気に入ったので勝手に入り込んで「これからこっちに住みます」と言ったらどうなりますか?    いくら豪邸でも、あらゆる悩み苦しみが生まれてきます。警察に呼ばれて、逮捕されて、裁判にかけられて、いろいろと賠償しなくてはいけないかもしれません。それは「私の」という言葉が作った苦しみです。この「私」「私の」ということは妄想で、幻覚です。
    自然が猛威をふるったら逃げればいいのです。落ちついているためには、全ての苦しみは「私」「私の」というこの二つの言葉が生み出すのだと理解して下さい。



■出典    『それならブッダにきいてみよう: ライフハック編2』
https://amzn.asia/d/5pzj7j3