【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「仕事が長続きしない」という悩みにスマナサーラ長老が答えます。
[Q]
仕事をコロコロと変えてしまいあまり長続きしません。自分の適職が見つかりません。与えられた仕事を淡々とこなせばいいという考えもありますが、そこら辺が不安です。どうしたらいいでしょうか?
[A]
■働くことからは逃げられない
世間的には安定した仕事があった方がいいという考えですね。しかし、世の中に安定した仕事などありません。忘れてはならないポイントがあります。人間に限らず生命は、生きている間は何かを食べなくてはいけません。肉体を維持するためにいろいろなものが必要で、それは自分で稼がなくてはいけないのです。衣食住薬とか、家族がいれば家族の面倒をみなくてはいけません。どれも自分がやらなくてはいけないことで、決して逃げられません。これは決して忘れてはいけないことです。
■適職という言葉の本当の意味
適職なんてものはありません。それは妄想です。しかし誰でも適職に就いているのです。例えばあなたがやっている仕事は私にはできません。ですから、自分に回ってくる仕事というのは自分にできるもの--それが適職です。与えられた仕事ができるかできないか、それだけです。適職という観念は自我から出て来ます。時々、仕事が難しくて失敗してしまうと、この仕事は自分に合っていないという気がするかもしれません。しかし、そんな時でもいきなり決めつけるのではなくて、ベストを尽くせたかどうかをその仕事から学ばなくてはいけません。人生はずっと何かから学ばなくてはいけないのですが、私たちはついを怠けてしまいます。例えば新しい仕事が来て、調べなくてはいけないことなどが増えると「こんな仕事はできない、この仕事は私の適職では無い」という気持ちになるのです。適職という言葉を考えない方がいいのです。皆、自然にできる仕事を探してやっています。適職ではなく別な言葉を使って判断するのです。自分がストレスなく、楽しく、失敗することが極力少なくこなせる仕事、それが適職という意味です。
■収入について長い目で考える
安定という点で言えば、歳を取ってからも仕事が無いと困ります。何か収入があるように長い目で考えてください。自分の身の安全は自分で守らなくてはいけません。適職については悩まないでください。理性的に考えて、今の年齢と健康状態なら数ヶ月で死ぬという可能性は低いでしょうから、80歳まで生きていたらどうしようかということも考えなくてはいけません。孫が生まれたらどうしようかとか、そういうことも理性的に考えてみてください。別にくよくよ悩むことではありません。
■仕事の対価は生きるためのポテンシャル・エネルギー
もし仕事を中途半端にしているのだったら直ちに改めてください。選り好みは通じません。「やりたくないことでもやってみれば経験になるかもしれない」と積極的に取り組むのです。やりたくないことをやってみて失敗ばかりで、皆に迷惑をかけるようだったら、その時は辞めて構いません。自分が手に入れる収入は、自分が頑張って得たものでなければいけません。別にたくさん儲けることを考える必要はありません。自分の得た収入が、しっかりと頑張った結果であることが大事です。そうするとその収入は残ります。散財してしまうようなことはありません。お金というのはただの数字ではありません。生きるために必要なポテンシャル・エネルギーなのです。たとえば100万円を持っているということは、いろんなものを買えるというポテンシャル(可能性)を持っていることでしょう。それは単純に数字ということはありません。
■正しいエネルギーがあなたを生かしてくれる
仕事をするということは、その分に見合った生きるためのポテンシャルをもらうことなのです。現代社会では、収入・給料・お金などと言っていますが、本来は生きるためのポテンシャルなのです。それが正しいエネルギーであれば、しっかりとあなたを生かしてくれます。時には大金が転がり込んできたけど、あっと言う間に消えてしまったということもあります。そのお陰で借金までする羽目になったとかいうこともあります。それは危険です。
しっかり汗水流して働いて得た収入だったら、たとえ10万円でも1カ月間生きることはできます。その時、月々50万円ぐらい必要だと余計な計算をすることはありません。そういうお金・収入に関する理解もあった方がいいと思います。自分が生きるためにいただくポテンシャルは正しくいただくこと。そうでないと「与えられていないものを取った」という戒律を犯したことになります。その戒律を犯すと、いわゆる貧乏になります。収入が得られず借金をする生き方になるのです。
例えば、仕事ができる能力が無かったり、身体に問題があったりして仕事ができないという人もいます。そういう人々は誰かのお世話になって生活するのですが、それでも自分たちは必死で自分にできることをやっているのです。給料をもらう類の仕事ではありませんが、例えば「自分のお世話をしている人が喜びを感じられるように」と思ってできることをしてあげると、その努力に応じて、生きられるポテンシャルを受け取ることになるのです。仕事の対価として得られるのは「生きられるポテンシャル」です。すべてをお金で計算することはできないのです。
■出典 『それならブッダにきいてみよう:こころ編1』