山下良道師の師であり禅の修行道場である安泰寺の第六代住職の内山興正老師の哲学を紐解きながら、現代日本仏教の変遷をその変革の当事者としての視線から綴る同時代仏教エッセイ。
第2話 時空に縛られる私たち
■外部との出会い
前回、この連載のタイトルにも入ってる元号と仏教の真理の間の一筋縄ではいかない関係について考察しました。仏教はその原理上、世俗を越えた聖なる真理を探究してゆくのが筋だから、「明治の真理」のように元号と結びつけると、特定の時代に狭く限定されたものになり、時空を超えるはずの仏教の真理ではなくなってしまう、と指摘しました。それにもかかわらず敢えて、「令和」という元号をタイトルの中に使うのは、もちろん、理由があります。ひとことで言うと、我々自身が時空に縛られた存在だからです。その自覚なしに、いきなり時空を超えた真理を求めることはそもそも不可能。時空を超えようとする前にやらなければいけない作業があるのです。まずは、自分がどのように時空に縛れているのかの解明が最初の一歩。それはとても難しい作業です。何故なら、我々は縛られていることにすら気づいていないから。
自分が縛られていることに気づかないとき、そう言われてもピンとこないとき、どうやったら縛られていること自体に気づけるのでしょうか? 譬えを使って考えてみます。