エレーヌ・ライ
チェンシン・ハン
ロブサン・テンパ
西村宏堂
クリスチャン・ハワード
司会:伊藤有希(ジュリア)
スタンフォード大学のスティーブン・マーフィ重松教授のもとで仏教コミュニティを研究するエレーヌ・ライ氏をモデレーターに、4人のスピーカーのパーソナルヒストリーとパネルディスカッションで展開するプログラムを載録する。違う人種、違う帰依する伝統、違う文化を背景にした各人の語る、人生のナラティブ(物語)を通して、仏教がどのように個人の中に息づいているか、大切なものとは何かを浮き彫りにするイベント。日本からは国際的に活躍するメイクアップ・アーティストであり浄土宗僧侶、そしてセクシャルマイノリティであることを公表している西村宏堂師がパネリストに加わった。
スタンフォード大で仏教を学び『Be the Refuge: Raising the Voices of Asian American Buddhists』の著者である韓国系米国人のチェンシン・ハン氏の発表からは各国文化の坩堝のアメリカで仏教の受容される様子が鮮やかに描かれ、ロシア出身のチベット僧ロブサン・テンパ師の発表では自身の出自と教えとの出会いの価値が、そして黒人でエンゲージドブディズムのアクティビストであるクリスチャン・ハワード氏は一人一人の名前に秘められた物語から人生の価値を再確認していく実践が紹介された。
4人のストーリーの発表と、その後のパネルディスカッションを通して、仏教的価値観を軸に、すべての人の物語が持つ癒しの力を再発見する、貴重な機会となった。2部構成、全6回に分けてお届けする。
モデレーターのエレーヌ・ライ氏が学ぶスタンフォード大学スティーブン・マーフィ重松氏のゼミ
★第1部 各パネリストによるストーリー紹介
第1回 モデレーター紹介&チェンシン・ハンのストーリーテリング
■モデレーター、エレーヌ・ライより
エレーヌ こんにちは、私の名前はエレーヌ・ライです。スタンフォード大学仏教コミュニティの共同代表です。今は仏教学の博士号課程に在籍しています。「コンパッション・ストーリーテリング~癒しへの道」のファシリテーターができることを光栄に思います。
きょうは素晴らしいスピーカーが4名います。一人一人のスピーカーに10分ずつお話しいただきます。彼らがストーリーテリングの経験を通じて、それらがコンパッションと仏教にどのように交差していくのか、じっくりとお聞きください。
1人目:チェンシン・ハン(当配信)
2人目:ロブサン・テンパ(第2回配信)
3人目:西村宏堂(第3回配信)
4人目:クリスチャン・ハワード(第4回配信)
それでは一人ずつ、最初に自己紹介をしていただいてから、お話しいただきます。皆さん、背景も国も異なる4人の方たちです。また、合間に西村宏堂さんと司会のジュリアさんからコメントをいただくことによって、次のスピーカーに移る前に日本語でまとめとつなぎをしていただく構成です。
では最初のスピーカーのチェンシンさん、よろしくお願いいたします。
■チェンシン・ハン 自己紹介
チェンシン ありがとうございます。皆さんとご一緒できてとても嬉しく思います。私の名前はチェンシン・ハンです。中国生まれですが幼いころにアメリカに来て、その後アメリカの様々な都市で育ちました。無宗教の家庭で育ちましたが、スタンフォード大学在学中に仏教を学び始めました。
私は現在、無宗派の仏教徒として活動しています。大学卒業後、私はホスピスでボランティアを始め、精神的ケアに携わったことがきっかけでカリフォルニア州バークレーにある仏教大学院で修士号を取りました。ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、浄土真宗系の大学院です。
私は現在、この仏教大学院で仏教チャプレンシープログラムのコーディネーターとして働いています。仏教大学院の学生だったころ、修士論文を書きました。様々な民族や宗教的背景をもつ89人のアジア系アメリカ人の若い仏教徒へのインタビューをもとにしたものです。それから長い年月を経て、今年の初めに『BE THE REFUGE アジア系アメリカ人仏教徒の声を届ける』という本を出版することができました。アジア系アメリカ人の若者たちのインタビューと、私自身の個人的な話がもとになっています。
私は現在、サンフランシスコのベイエリアに住んでいますが、パンデミックの前は夫と一緒にタイとカンボジアに数年住んでいました。カンボジアに住んでいたとき、初めて日本に行きました。親しい友人が静岡にある実家のお寺で結婚式をしたのでそれに参列したのです。今日はこうして皆さんと繋がることができてとても嬉しいです。
エレーヌ チェンシン、ありがとうございました。
司会の伊藤有希(ジュリア)さんと、西村宏堂師
■司会進行より一言
ジュリア(司会) 日本の皆さま、このストーリーテリングのパートは、私とお隣にいらっしゃる西村宏堂さんで進行いたします。西村宏堂さんはメイクアップアーティストとして世界的に活躍されています。そして僧侶でもいらっしゃいます。これから我々が、非常に多様性に富んだパネリストの方々について、少しだけ日本の方々にわかりやすいように合間にお話をはさみたいと思います。
今、ご紹介いただいたとてもステキなチェンシン・ハンさんのビデオをこれからご覧いただくのですけれども宏堂さん、一言お願いできますか?
宏堂 はい、こんにちは、西村宏堂です。チェンシンさんはいろいろな仏教にまつわる彼女が見つけてきた面白いストーリーを紹介してくださいます。日本ではちょっと馴染みのないような話や、ちょっと驚くようなエピソードも出てくると思うので、ぜひ楽しみにご覧ください。
ジュリア それではチェンシンさんのビデオを見ていきましょう。
■チェンシン・ハン プレゼンテーション
●置いた仏像から神社ができた
「仏教」と聞くと、何が思い浮かびますか? ここアメリカでは、多くの人が仏像のイメージを思い浮かべます。
この仏像にはどのようなストーリーがあるのでしょうか? もしかしたら、近所のDIY店のガーデニングのコーナーで見かけたかもしれません。その長い耳たぶ、渦巻き状の髪、穏やかな表情に見とれ、裏庭に安らぎを与えるために購入が検討されるかもしれません。
私は無神論者の両親によって非宗教的な家庭で育ちました。ですから、私の初期の仏教の印象は、このような仏像が示す神秘性と静寂など一般に言われるような、漠然とした感覚以上のものではありませんでした。仏教徒の中には、自分たちの宗教的なものが装飾品として売られているのを不快に思う人がいることも、そのときは知りませんでした。
もちろん、仏教徒といっても多種多様な人々がいます。DIY店の仏像を文化的流用の問題行為として抗議する人もいれば、この宗教的アイコンが広まっていることを喜ぶ人もいます。
ここからそう遠くないカリフォルニア州オークランドに、地元の女性がDIY店で購入した小さな仏像があります。この女性の夫は無宗教でしたが、破壊行為やゴミのポイ捨てを防ぐために、この仏像を街角に設置することにしました。すると、ベトナム系アメリカ人たちが、この像に祈りを捧げ、供え物をするようになりました。やがて「Pháp Duyên Tư」(ファップ・デュエン・トュ)という名前が付き、神社になっていったのです。この「Pháp Duyên Tư」という名前はベトナム語で「静けさ」を表す、より多くの人々にダルマとの親近感を生み、引き込むのにふさわしい名前でした。実際、この神社は近隣の静寂のシンボルとなっています。
●アジアの僧侶イメージ
「仏教」と聞くと、何が思い浮かびますか? 多くの人が、アジアの僧侶のイメージを思い浮かべます。
このお坊さんは、どんなストーリーをもっているのでしょうか? アメリカの大衆文化では、彼は古代的で神秘的な人物ととらえられます。見ての通り坊主頭で、ゆったりとした服を着て、穏やかな表情をしていて、西洋の弟子たちに時代を超えた知恵を伝えようと準備万端です。私は僧侶と交流して育ったわけではないので、そんなイメージを鵜呑みにしていたほうだと思います。
修士論文を書いているときに、私は仏教徒として育った同年代のアジア系アメリカ人と出会う機会がありました。その一人が、スリランカ系アメリカ人でシンハラ語系の仏教徒であるミヒリ・ティラカラトネさんです。ミヒリさんは、南カリフォルニアの仏教寺院で『I Take Refuge』というドキュメンタリーを撮影しました。映画の中でチャーリイ・ソマウェラは、若者にとっておじさんのような存在であるお寺のお坊さんへの感謝を語っています。映像では、僧侶の一人が、寺にいる少年たちにチョコのかかったドーナツをふるまいます。それは、オレンジ色の服を着た僧侶が常に一般人の施しを受ける側であるという予想を覆す、甘い光景です。
●アジアの尼僧イメージ
仏教と聞くと、何を思い浮かべますか? アジアの尼僧を思い浮かべる人もいるかもしれません。しかし、悲しいかな、アメリカでは彼女達の存在感は男性の僧侶に比べて圧倒的に薄いのです。尼僧のストーリーは残念ながら、ポップカルチャーにはあまり登場しません。
正直に言うと、私は仏教の尼僧は控えめであり、彼女たちは静かな集団であると何となく思い込んでいました。しかし、幸いなことに、Sakyadhitaによって運営されている国際仏教女性会議で何百人もの尼僧に会い、そのような古風な考えを捨てるにいたりました。
会議では、激しい尼僧や優しい尼僧、寡黙な尼僧や饒舌な尼僧に出会いました。他のカテゴリーの人々と同じように仏教徒の尼僧は、ステレオタイプにはめることができない多様な人間の集まりです。
仏教の尼僧についての私のお気に入りの物語の一つに、本日のモデレーターであるエレーヌ・ライが書いた劇があります。劇中の主人公の名前をとった「Blue Lotus」は、彼女の癒しと自由への旅を描いています。ブルーロータスは、他の尼僧たちのサンガに支えられています。キサーゴータミー、スメーダ、ウィマラ、チャンダ、ウィラ、そしてルームメイトのアノパマです。
今年の初め、私はアノパマの役を演じることができました。エレーヌが私たちのグループを指揮して、この劇のオーディオバージョンを制作したのです。生意気で愛情深く、型破りな尼僧の声を担当したことで、もっと率直で大きな心を持つことができるのではないか、礼儀よりも自由を優先するとどんな可能性が開けるのか、ということを感じました。
●共有されないアジア系アメリカ人仏教徒の話題
仏教というと何を思い浮かべますか? もしあなたが、私がバークレーのMartin Luther King Jr. Wayに住んでいたころのご近所さんだったら、もしかしたら角を曲がったところにあるタイ寺院、Wat Mongkolratanaramを思い浮かべるかもしれません。金色の屋根と日曜日のパブリック・タイフード・ブランチで有名です。
この寺院にはどのようなストーリーがあるのでしょうか? このお寺は、もう半世紀近く前からこの界隈にあります。ウィキペディアによると、2001年に25周年を迎えた際、タイの寺院としてのアイデンティティを保つため、ヴィクトリア朝様式の建物に改修されたそうです。
私が初めてこの寺院の歴史の別のストーリーについて知ったのは、友人のアーロン・J・リーからでした。彼の早すぎる死の1年前、2016年に書かれた彼のブログにはこうあります。
私が大好きな話があります。タイ系アメリカ人の仏教徒たちが、カリフォルニア州バークレーにある自分たちの寺院、ワット・モンコラッタナラムを救うために一丸となった話です。タイ人以外の住民が多い地域では、お寺のフードコートを閉鎖しようとしており、お寺の主要な収入源が断たれてしまうところでした。しかし、若いタイ系アメリカ人の仏教徒たちが団結したのです。ウォール・ストリート・ジャーナルで読んだのを覚えていますが、WSJのビデオにも彼らの姿がありました。主催者の一人であるパホール・スッカシコンは、2009年にHyphen Magazineの「Mr.Hyphen」賞を受賞しました。これは本当に良い話なので、『Tricycle Magazine』や『Shambhala Sun』に掲載されていたらと思います。
(以上アーロン・J・リーのブログ)
アーロンの祝福と嘆きが聞こえてきます。アーロンは若い仏教徒を支援することに常に情熱を傾けていました。とくにアメリカの仏教徒は、人種的・宗教的マイノリティとして固定観念やいじめに遭うことの多い存在です。アーロンは今の事例のように、アジア系アメリカ人の若者が、アメリカ仏教の未来を担い、形成するために積極的な役割を果たしているという話が大好きでした。しかし、このような話は広く共有されることがないか、そもそも語られることがありません。その事実が、いかに悲劇的なことかということも彼は知っていました。
●アメリカにおける仏教徒の実際
仏教徒の数が少ないアメリカでは、仏教についてどのような話がよく聞かれるのでしょうか。アメリカには「2つの仏教」があるとよく語られます。仏教徒に生まれたアジア系の移民と、白人の改宗者です。では黒人、ネイティブアメリカン、ラテン系、混血の仏教徒はどうでしょうか? アジア系アメリカ人の改宗者や、この宗教で育った非アジア系アメリカ人はどうでしょう? 2つではあり得ませんよね。
もう一つ聞くのは、仏教は1960年代にアジアの僧侶のもとで学んだ白人の改宗者によって、アメリカに持ち込まれたという話です。そうでしょうか。1800年代にアメリカにやってきたアジア系アメリカ人の仏教徒はどうでしょうか? 日本からの移民の仏教徒が設立した寺院は、今では100年以上の歴史があります。
なぜ彼らの話は簡単に埋もれてしまうのか。大学時代に人気の仏教雑誌を読んでいて疑問に思いました。アジア系アメリカ人の仏教徒は東洋の僧侶の姿や迷信深い移民として軽視されていないだろうか。アジア系アメリカ人の仏教徒は、長期の瞑想リトリートに参加しておらず、仏教の教義を英語で簡単に説明できないため、「科学的」や「合理的」ではないのではないか? そしてすぐに私は、「良い仏教徒」になるためには瞑想者でなければならないと自分に言い聞かせ始めました。それもただの瞑想者ではなく白人の瞑想者、つまりアメリカの仏教をメディアで表現する「例の人たち」のようにならなければならないと自分に言い聞かせるようになりました。
幸いなことに、私はこの思慮浅く正しくもない話に疑問を持ち始めました。アメリカの仏教徒の3分の2がアジア系であることを知ったのです。私は彼らの話を聞きたくてたまらなくなりました。そこで、89人のアジア系アメリカ人の若者の仏教徒にインタビューを行いました。彼らの話を聞いていると、アジア系アメリカ人であること、仏教徒であることは恥ずかしいことではなく、むしろ強さの根源であることがわかってきました。
まだまだ語り継がれるべき物語がたくさんあります。これらのまだ語られていない物語の一つ一つが、洞察と繋がりの機会を与えてくれます。
最後に、多くの仏教徒の物語がそうであるように、繰り返しの言葉で締めくくりたいと思います。
仏教といえば何を思い浮かべますか?
あなたが聞きたいと思う話は何ですか?
あなたが伝えたいと思う話は何ですか?
ありがとうございました。
■チェンシン・ハンさんのプレゼンを受けて
ジュリア(司会) もう本当にたくさんの視点を与えてくれるビデオで、何度見ても違う印象です。
宏堂 私はとくに仏像がDIYストアやハードウェアストアで売られているというのが衝撃的でした。日本ではそんなに簡単に買える感じではありません。だから思わず、その仏像と日本にある仏像を比べたら、どちらが価値があるのかなとか、信仰の度合いって変わるのかな、などという疑問が起こりました。あとは、アメリカには仏教が日本よりだいぶあとに伝わっているので、仏教徒だからこそ大変なこと、差別やいじめに遭ったりですとか、…日本では「私、仏教徒であるからマイノリティだ」なんて感じたことはないので、そういった私たちにはない感覚もあるんだなと感じました。
ジュリア そうですね。やはり国によって宗教とか文化、そして常識も変わりますよね。本当に、宏堂さんがおっしゃる通り、日本にいて仏教をとらえるのとアメリカの枠で仏教をとらえるのとではこんなに違うんだと、新しい発見をさせていただいたお話でした。
2021年9月19日 Zen2.0 2021オンラインセッション
構成 川松佳緒里第2回 ロブサン・テンパのストーリーテリング