アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日テーマは「自灯明・法灯明」です。

[Q]

    自灯明・法灯明とはなんですか?

[A]

     ブッダが説かれた「自灯明・法灯明」は、同義語です。仏教では、「自分=法」なのです。われわれが修行するとき、修行の宿題となるものはなんでしょうか。それは生きている自分です。自分とは「生きている」というシステムです。ブッダの「法」とは、この「生きている」システムの説明のことです。ですから、法=自分なのです。
    執着から苦しみが生まれることをどこで研究するのかといえば、「自分」です。同時に、「執着から苦しみが生まれる」というのは普遍的な「法」なのです。渇愛でひどい目にあっているのは自分ですから。そういうわけで、自灯明、法灯明は同義語なのです。
    この言葉は革命的な教えです。「自灯明、法灯明」の一言で、ブッダは一切の宗教・信仰の世界を捨ててしまったのです。
    宗教の世界とは、全知全能の神や如来、永遠の魂、聖地、グル、そういったなにか絶対的な存在に頼るものです。でも、私たちが悟りに達するためには、なにもいりません。この身体に、すべてが揃っています。悟りに必要な宿題はすべて、条件もなにもかも揃っています。他のなににも頼る必要はないのです。
    悟りに達するというのは、「生きていることは苦しみである」と発見することでしょう(苦聖諦)。私たちは「いま・ここ」に生きています。宿題は自分ですから、場所は関係ない。だから、頼る・依存するということははじめから成り立たないのです。
    私たちは「いい言葉だなぁ」と感心するだけなのですが、お釈迦様は驚くべきことを語っているのです。世界にある、あった、これから現れる、すべての宗教・信仰を粉々にしてしまう真理の言葉。それが「自灯明・法灯明」なのです。


■出典    『ブッダの質問箱』