アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「優先すべき責任とは?」です。

[Q]

   
「責任」ということについてお尋ねします。私たちは、社会や家族や友人に対する責任と、自分自身の行動や生き方に対する責任と、どちらを優先にするべきなのでしょうか?

 
[A]


■自他への責任は「ひとつ」です

    答えは簡単です。どちらを優先にするべきかということはありません。どちらも同じ、ひとつです。例えば、社会や周りに対して責任を果たすことも自分の責任ですし、自分自身の行動で善い人間になろうとすることも自分の責任です。ですから、どちらが優先ということではなく、ただ自分の責任を果たすということでいいのです。二つの責任ではなく、ひとつなのです。
    あなたが周りの人々が幸せになるために、いろいろと行動・努力していると、それによってあなた自身の自我が減っていくのです。落ち着きます。あなたの周りの皆がニコニコ笑うのです。またそれがあなたの精神的な応援にもなります。力になるのです。ということは、あなたは自分の自我をいくらか戒めたことになります。

■「他人のため」に潜む自我

    私たちの思考を明確にしましょう。他人のために果たすべき責任があるのだと思うと、それは自分自身の自我になってしまいます。なぜならば、「自分のためにやることがいっぱいあるのに、他人のためにもやらなくてはいけないことがあって面倒くさい」という気持ちになるからです。そういう気持ちで責任を果たすと「自分が損している」という気持ちに陥ります。それはネガティブ感情です。ネガティブ感情は悪行為で不善です。
    若い時は誰でも、責任という足枷に嵌って苦労することがあると思います。私にも覚えがあります。若い時は周りから「あれやれ、これやれ」と指図される人生です。自分は自分が好きなことをやりたいのですが、そんな暇はありません。こき使われている気分になってしまい気持ちは暗くなるのです。そこで突然気づいたのです。「私は人に指図されて責任を果たしているのではない。これは、私個人の修行なのだ。私は若者として自分に与えられている責任を果たしているのだ。師匠たちの指図は、ただ自分に対して助言してくれているだけだ」とわかったのです。それから、若僧としての人生は明るくなってしまいました。
    つまり「自己責任」と「他者への責任」を区別することは間違いなのです。そのような区別をするためには自我の錯覚(エゴ)が必要です。エゴを養うことは悪行為です。この世で生まれてくる人間それぞれに、生きている間に果たさなくてはいけない責任のリストがおのずから現れます。それを何の文句も言わず果たすことです。自分の人生は成功する方向へ流れるはずです。



■出典       『それならブッダにきいてみよう:こころ編3」 

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