他者に対して度外れな対抗意識を持ったり、嫉妬したり、貶(おとし)めたり、というあり方から脱すれば、その勢いだけでもう慈悲があるのに近くなりはします。それはしかし、もとがあまりに酷(ひど)いので、そこから脱するだけで、もう慈悲のように見えるだけかもしれません。


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永井均(哲学者)
(サンガジャパンVol.35  山下良道師との対談「自己曼画の『第五図』はなぜ一人だけなのか?」)
※肩書は掲載時