〔ナビゲーター〕

前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)

〔ゲスト〕
川野泰周(神奈川県林香寺)
白川宗源(東京都廣福寺)


慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」もいよいよ最終回。臨済宗の川野泰周さん(林香寺)白川宗源さん(廣福寺)をお迎えしてお送りします。


(3)精神医学とマインドフルネスと仏教の接点


■マインドフルネス療法を選んだきっかけ

安藤    川野さんが精神医学を選ばれた理由と、それが禅やマインドフルネスにどうつながっていったのかについてお聞きできればと思いますが、いかがでしょうか。

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安藤礼二先生(撮影=横関一浩)

川野    私はある意味「ロマン」というか、精神医学というものに対して個人的な理想像を描いて精神科医になりました。それは「人の心を治す」ということです。鬱で苦しんでいたり、不安でいっぱいだったりする方の心を根底から治して、その方々が幸せに生きていけるように心の変革をもたらすような医者になりたいと思っていました。
    しかしそれは精神医学の実際を知らない私の理想に過ぎませんでした。実際に私が大学病院や国立系の病院で経験させていただいた患者さんの治療は、ほとんどの場合において薬物療法が主体のものでした。向精神薬を用いて脳内の神経伝達物質のバランスを調節すると、確かに一時的に気分が好転したり、不安が和らいだりします。それは素晴らしい治療であることに疑いようはないですし、それを必要としている患者さんは数多くおられるわけですから、薬物療法自体を否定したいわけでは全くありません。しかしそれは私が抱いていた精神医学のイメージとは少なからず違うものでした。
    実際に外来診療を主治医として担当させていただく中で、私は次第に熱量を失っていったように思います。患者さんの話をじっくり聞く時間もなく、薬の内容を決めて次の予約を入れて処方箋を発行して、それで診察が終わります。それほど多くの患者さんが、日夜外来に殺到している状況では仕方のないことです。でも、そんな治療場面は私が思い描いていた精神医療のイメージとはあまりにも異なっていました。「ああ、6年間医師として自分なりには頑張った。でも、もうここまでにしよう。」と感じるようになり、精神科医をやめて修行道場に入りました。私が30歳のときの決意でした。
    ところが3年半後に修行から戻りますと、耳慣れない言葉が医学雑誌を席巻するようになっていました。それが「マインドフルネス」という言葉です。調べてみると、マインドフルネスはブッダの瞑想法に着想を得ているとのこと。色々と文献を読み進めるうちに、世界で初めてマインドフルネスを病気で困っている方に用いた、マサチューセッツ大学のジョン・カバットジン先生が若い頃から禅をずっと続けていた方だったことも分かりました。
    以前はマインドフルネスという言葉をたまに耳にすることはあっても、精神療法として体系的に学んだことのなかった私でしたが、自分が修行してきた禅とマインドフルネスという新しい治療とが紐づいていることがとても嬉しく、私なりの参究を始めました。
    その過程において私が大切にしたのは「患者さんと一緒に学んでいく」というスタンスです。それはなぜかというと、マインドフルネスの治療法自体が日本ではまだ十分に確立していませんでしたし、いったいなぜマインドフルネスが人の心に効くのかといったことや、どういうふうにやれば一番効率的に治療できるかということも研究途上だったからです。
    研究途上の治療法ですが、だからこそ私は、患者さんの同意と信頼関係が構築できた上で、患者さんの状態に配慮しながら一緒にマインドフルネスに興味を持って取り組んでいく、そんなスタンスを共有することができたんです。
    その後、だんだんと医学的にもMRIの研究などでマインドフルネスの効果が明らかになっていき、患者さんたちと二人三脚で取り組んできたことは、やはり間違ってはいかなったのだと思えるようになりました。
    マインドフルネスに基づく精神療法とこれまでの治療との違いは、禅の言葉で言えば「主人公」の精神にあると思います。瑞巌和尚(ずいがんおしょう)という中国の偉いお坊さんがその昔、毎日山の中の庵で一人、「おい、主人公!」「ハイ!」と問答をしながら生活していたそうです。これは「この人生を自分の足で歩いていくんだ」という決意です。自分でしっかりと意思決定をして、そこにエンゲージして取り組んでいくぞと。
    主人公の精神を取り入れた精神療法は、それまでは世界のどこにもなかったのではないでしょうか。瞑想の要素を取り入れた治療法はいくつかあったようですが、瞑想するということ自体を主たる要素として、心のあり方を柔軟にしていくような治療法を、私は見たことがありませんでした。ほとんどの場合は精神科医や臨床心理士、あるいは薬物療法や診断書、そういうものの力を借りて「治してもらう」治療だったんですね。そうではなくて「自分から治っていく」治療があるなんて素敵だな、というのが私がマインドフルネス療法を専門にしたいと思ったきっかけです。

前野    川野さんは今はマインドフルネス療法に限った診療をされているのですか? それとも薬を処方するようなこともされているのですか?

川野    もちろんお薬は処方しますし、その薬の反応によって内蔵機能に負担がかかっていないかなどをチェックするため、採血などもしばしばさせていただきます。いわゆる医者の仕事は、ある程度いたしております。

前野    なるほど、そうなんですね。

川野    患者さんにはお薬とマインドフルネスを両輪として使っていただくイメージでしょうか。症状がとても重く、苦しい状態の時期は薬物療法は強力な助けとなります。しかし、そうした時期を脱しても漫然と薬を飲み続けるのではなく、いつかは薬の力を借りずとも自己治癒してゆくという過程は、私にとっても、もちろん患者さんご本人にとっても大変希望になるものです。
    私自身も日々マインドフルネスに助けられています。私はマインドフルネスを患者さんに授けているとか、施しているというわけではなく、患者さんが瞑想に取り組んで下さるきっかけを提供する「インタープリター(分かりやすい言葉で伝える人)」です。難しいことを一般の人にわかる言葉で伝える役割を、これからも担ってゆきたいと思っています。


■心理学も精神医学も仏教も幸福を目指す

前野    私は心理学で幸せになるための条件を探究していていますけれども、精神科医は不幸せな状態といいますか、調子の悪くなった人が幸せになるために仕事をなさっていますよね。そして仏教もどうすれば幸せになれるかという教えだと思います。
    心理学と精神医学と仏教の違いはどういうところにあるのでしょう。川野さんは精神医学と仏教の療法をやっていらっしゃいますけど、医療の限界や仏教の限界を感じることはありますか?

川野    三位一体になれば限界はなくなるのではないかと私は思っています。古い時代からの仏教の経典を調べてみると、今であれば病的水準にあるような人が大勢救われています。自ら命を絶とうとした人たちが、仏法に触れて救われたという例が多数あります。今で言えばうつ病で希死念慮のある人たちを、仏教の教え、あるいは禅という形で救ってきた面が少なくないのではないかと思うんです。
    また、病気の方々を診る精神医学と一般の人々が幸せになることを目指す幸福学も、今どんどんオーバーラップしているように思います。その橋渡しになるのが、レジリエンス理論とかポジティブ心理学ではないでしょうか。最近は精神科医がレジリエンスという言葉を普通に使うようになっています。
    リチャード・テデスキ(Richard Tedeschi)先生のPTG(post-traumatic growth)という理論があるのですが、私のこの概念がとても好きなんです。PTSD(Post Traumatic Stress Disorder 心的外傷後ストレス障害)を体験した人が、post-traumatic growthの段階に入っていく、トラウマを体験した人にしか得られない成長がある、という理論です。マイナスの状態からゼロに戻すだけではなく、マイナスの体験を契機としてプラスに転換してゆく。このような考え方が精神医学の中に取り入れられ始めているのですから、これから先、精神医学と幸福学はどんどん融和していくのだろうと期待しています。

前野    病気の人の幸せを目指すのが精神医学で、元気な人の幸せの探究が幸福学だとすると、仏教はそのどちらも貫いておこなっているという図式ですね。

川野    そうですね。大乗仏教は「救う」ということを大事にしていますので、とりわけその色彩が強いのではないかと思います。江戸時代の白隠禅師(はくいんぜんじ)は、重度の自律神経失調症で寝たきりになっている人に手紙を書いて「坐禅ができないならしなくていい。仰向けになって、坐禅と同じように体をしっかり観察して、呼吸を調えることによって、心身の不調が癒されてゆく」と伝えました。(『夜船閑話』という本に書かれているエピソードを私なりに解釈しています)内観の秘法(ないかんのひほう)というのですけれども、これを読むと白隠禅師は本当に今の精神科医と同じことをやっていたのだなとわかります。

(つづく)

(2)臨済宗の特徴とは
(4)坐禅とマインドフルネス