アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「瞑想は概念を思い込むことではない」です。

[Q]

    瞑想する度に妄想ばかりになります。妄想に気づいて「妄想、妄想、妄想」と実況中継し、消そうとしますが、また妄想してしまいます。情けないことに、ひとつの妄想に集中することなく、次々に違う妄想が現れてきます。この頑固な妄想を消したく、変化生滅するものだと思い観察を続ければ良いのでしょうか?


[A]

■イヤだといっても本当は好き

    あなたは相当に妄想することが好きなようですね。その状態を発見してみてください。どうしても妄想したくてたまらない状態があるなら、そんな簡単に妄想をやめられるわけがありません。少し昔は皆タバコを吸っていました。でも体に悪いことは知っていて、お金もかかるし、「じゃあ明日からやめます」と簡単に言うのです。しかし、実際にはやめません。そんなものです。結局、明日もタバコを吸うのです。
    なぜかというと、タバコを吸うことで他人に迷惑をかけるということも知っている。タバコが自分の体に悪いということも知っている。若者だとあまりお金も持っていないので、食べるものにも困っている。給料が少ないこともわかっている。しかし、タバコが好きだからやめられないのです。

■妄想が好きで好きで止められない

    妄想も同じで、本心では皆妄想が好きなのです。無我ということに気づかないで、妄想という幻覚の世界に留まるために、虚構の世界にいるために、「美しい花がある」「美しい音楽がある」「美しい人がいる」「私の好きな人がいる/私を好きな人がいる」というように、自分で作り出した妄想・幻覚の世界を維持するために、そのためにも妄想し続けなくてはいけないと思っているのです。例えば私の好きな人が可笑しなことをしても、「可愛らしい」と思わなくてはいけません。私の嫌いな人が立派なことをやれば、「ちぇっ、そんなことたいしたことじゃない」と評価しないように妄想に頑張らなくてはいけないのです。
    私たちは苦の世界・輪廻の世界を維持管理するために、必死で妄想をしているのです。ということで、本当は妄想が好きなのです。実際に妄想ばかりしています。紛れもなく、それが「妄想が好き」という証拠です。

■本能では瞑想をしたがらない

    結果として、瞑想を実践してみると、ついつい瞑想が妄想になってしまう。瞑想を頑張っても、気を抜くと瞬間で妄想になってしまう。その過程で、自分が本心として「妄想が好き」「妄想を必要としている」という状態を発見します。素直であれば「自分が意図的に妄想をしている」ということを発見できます。それが発見できると、妄想が止まる瞬間を体験することができるでしょう。すると、すぐ退屈でつまらなく感じて「瞑想をやめたい」という気持ちが生まれて来る。これまでどれだけ妄想からいろんな煩悩・感情を掻き立てられて、栄養・刺激を得ていたということに納得がいくでしょう。そのように妄想を繰り返している現行のシステムを理解して、実況中継に励んでみてください。いずれ自分で納得ができるでしょう。
    瞑想において、わざわざ「変化生滅しているんだ」という概念を持ってきて、何かを思い込もうとしなくていいのです。変化生滅というのは、智慧ある人に現れる真理です。


■出典    『それならブッダにきいてみよう: 瞑想実践編4』
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