『サンガジャパンVol.31』特集「倫理」(2018年)


出版社 ‏ : ‎ サンガ
発売日 ‏ : ‎ 2018/12/25
単行本 ‏ : ‎ 353ページ
 

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特集「倫理」

 人は常に、倫理的、道徳的ともいうべき価値判断をしながら、自らを律して生きている。

 和辻哲郎は「倫理」という語の「倫」が「人びとのなか」を指し、「理」はその間に成立する「ことわり」「筋道」であると述べている。つまり倫理とは、ある共同体(人間集団)の規範やルールを示すものである。そして通常、倫理と「道徳」は交換可能なかたちで使用されている。

 倫理(ethics)はギリシャ語のエートス(ethos)を、道徳(moral)はラテン語のモーレス(mores)を、それぞれ語源に持ち、そのどちらも「慣習」を指している。このことからも、両者の基盤は社会的慣習にある、という通有点を踏まえれば、その区別が不明瞭であるのは当然のことかもしれない。

 仏教では、どのような倫理が説かれてきただろうか。輪廻を悪とし、解脱を善とする初期仏教においては、悟りに到達する前提条件として廃悪修善が据えられている。その土台として、仏教には多くの戒が存在するが、出家・在家を問わず、上座部仏教、大乗仏教、密教にも共通して見られるものとして、十善業と十悪業が挙げられるだろう。最古層の経典である『スッタニパータ』の第四章「アッタカ・ヴァッガ」には十善戒に相当する戒めが多く記され、戒の根本として捉えることができよう。

 この地球上の様々な宗教を見ると、良くも悪くも人を盲目にする麻薬として機能もしている。礼拝対象への没入や、教義の無謬性を信じることは、「信仰」のなせるワザであろうが、それは「理性」や「知性」を飛び越えたところで成り立っているともいえるだろう。

 一方で、時代の変遷や状況で変化する社会規範に縛られることのない、超越的価値を提供することによって人を救済する力が、信仰にはあるはずだ。単純化していえば、社会への適応と超越、その二重写しとして倫理が透かし見えてくるのではないだろうか。

 今回のテーマ設定は二〇一八年七月のオウム真理教死刑囚の大量執行を契機としている。倫理をキーワードに、宗教と社会の関わりを改めて問い直し、私たち個々が、彼らの投げかけたものを受け止めることの試みだ。
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目次

 

アルボムッレ・スマナサーラ/佐藤哲朗
仏教における倫理とは何か? 
鄭 雄一
インタビュー「道徳の本質を抽出する 道徳の誤解を解き、現実社会で展開するために理解する「道徳のメカニズム」」
南 直哉
インタビュー「仏教はなぜ倫理を語らないのか 不殺生戒と善悪の間で倫理を説く」
辻村優英
ダライ・ラマ十四世の「世俗倫理」 直接知覚と推論の限界内における倫理
三砂慶明
「人はなぜ祈るのか?」宗教と信仰をめぐる本
末木文美士
脱近代と菩薩の倫理学
永井均×ネルケ無方
連載対談 仏教と哲学の対話 第二回(最終回):「倫理」が生まれるための、〈私〉と「世界」の接点はどこに?――「自己ぎりの自己」と菩薩の実践
田口ランディ
幸福に生きるための倫理とは? オウム死刑囚の大量処刑を機に私たちの信じているシステムをほどいてみる
佐々涼子×島田啓介
オウム真理教死刑執行にあたって「宗教」の中の人と、外の人の対話
鎌田東二
身心変容技法と霊的暴力
佐々井秀嶺
インタビュー「五戒文と倫理」
浦崎雅代
洞窟に閉じ込められたタイ少年たちの事故を通して学ぶ正しさと感情の取り扱いについて
漁 一吉
一時出家修道会レポート
アルボムッレ・スマナサーラ
パーリ経典解説 連載第六回「スッタニパータ(経集)第五「彼岸道品」 六、ウパシーヴァ仙人の問い〔前編〕
藤本 晃
連載第十五回 日本仏教は仏教なのか?:日本と日本仏教のはじまり