死と看取り
今年、2022年に、団塊世代(1947~1949年生まれ)は75歳以上の後期高齢者に足を踏み入れました。法務省統計局の2021年の数字で、70歳以上の人口は2,852万人で、高齢者人口は増加傾向にあります。
世代別の人口比率の話をしたいわけではありません。
私たちはこれから、多くの死、大切な人の死と向き合わなくてはなりません。また、当然自分自身の死をいずれ迎えることにもなります。看取る者はどのようにその人の死と向きあったらよいのでしょうか。また、逝く人は自らの最期をどのように受け止め、迎えていくのでしょうか。
死に逝く人とともに、時間と空間を共にするとき、そこで何をするのか。何をしないのか。
どうあるのか。何を意識するのか。
対話があるのか。語り掛けなのか。ただただそばにいて、手を握っているのか。
目を見て、言葉によらない対話をするのか。
状況も状態も様々でも、そこに「逝く人」と「送る人」がいることに変わりはありません。あるいは、「送る人」のいない場合もあるでしょう。
死は等しく誰もが経験することですが、「逝く」とき、私たちは何を経験するのでしょうか。どのようにその時を迎えたらよいのでしょうか。
死と看取りを考えるとは、人生の最後の時間を如何に豊かなものにするかを考えることです。長い闘病生活であったり、あるいは突然にということもあるでしょう。いずれにせよ、最期の瞬間というのは誰にでも平等に訪れます。いま、QOD(Quality of death)という言葉が言われていますが、最期の瞬間をどのように迎えるのか、あるいはその時にむけてどのように生きるかは、これ以上ない人生の重大事と言えると思います。
そして看取りの体験は、残された人の人生を充実させ、人生の土台を作ることにもなります。最期の時に向けて、どう共にあるか、「看取りきる」にはどうしたらよいか。
意識の状態、身体の状態、コミュニケーション、そして環境づくりなど、考えなくてはならないこと、やらなくてはならないことは多々あります。具体的な知識、あるいは智慧や技法といったものは大切です。そして、何より大切なのはその時の心ではないかと思います。QODの本質は、逝く人、看取る人、その死にかかわる人たちの心の在り方ではないでしょうか。
初期仏教では死ぬ瞬間の心の状態が重要だといいます。輪廻転生を前提とした生命観の中で、末期(まつご)の心の安穏なることはよき転生につながるものとされます。仏教は最期の瞬間をどのように迎えればよいか、その智慧をつたえています。もちろん、死にあたって宗教は必要なのかというテーマもありますし、それまで宗教に関心のなかった人が、余命を意識したところで、仏教に限らず、何かの宗教に心のよりどころを見つけるということもあります。最期の時への不安に応えてくれる大きな体系を、私たちは求めているのかもしれません。
看取りの環境はこの約10年で大きく変化しつつあります。日本の病床数は減少し、病院での死から自宅での死に移行しつつあります。それは、看取りの環境を家族が作ることが求められていることでもあります。看取りの場は、主体的に、意識的に働き掛けないと作れません。状況に流されず、逝く人との最後の時間を持つためには何をすればよいか、現在の医療のシステムもふくめ、知っておくべきことは何か。戦後、在宅での看取りの文化が途切れた私たちには、それらは未知のことばかりです。
その時を豊かなものにすることはできます。そしてその経験は残された人にとって、財産となるものです。
今回の特集では、死と看取りをめぐる現在を概観するとともに、その時のための智慧と技を学び、さらには死生観を見つめ直す契機を届けることができればと思っています。
【参考Webサイト】
https://www.stat.go.jp/data/topics/topi1291.html
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000061944.html
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12404000-Hokenkyoku-Iryouka/0000156003.pdf
『WEBサンガジャパン Vol.4』 特集「死と看取り」 目次ページへ