タイのイサーン(東北地方)から、初めて日本のイサーンに来られたタイの方々に、ぜひ宮城県ならではの場所を観ていただきたく、2日間の観光の計画を立てました。
1日目:不坊平和記念公園 & 中浜小学校震災遺構
2日目:塩釜は多聞山 & 松島は五大堂、雄島 & 瑞巌寺
お坊さまを始め、タイの在家の方々も全てを受け入れてくださり、とても温かみのある、そして感動的な旅になりました。
それでは1日目!
先ずは仙台駅での待ち合わせの場面から▶️
ようこそ仙台へ!
“こけし”がお出迎え♪
中国人のCaseyと仙台駅で初対面!
無事に会えてよかった〜♪
一緒に参加する日本人メンバーとも無事に会えて👍
タイメンバーとの待ち合わせ場所に到着!
そして、合流👋😃
いざ!第一目的地の白石市へGo🚙🚌💨
🚙🚌💨💨💨
宮城県南部 白石市に到着
🏯白石市は伊達政宗家臣片倉小十郎のお城があることで知られています。
ここでやっとスティサート師、タイメンバーとご対面♪
車🚌にタイ語で『仙台へようこそ❗️』👍
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🍱昼食
お坊さまは『不非時食戒 (ふひじじきかい)→正午から翌朝の日出まで固形物を食べない』という戒律があるため、
先ずは昼食から👍
『白石うーめん やまぶき亭』さんでお世話になりました☺️
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【名物白石温麺(うーめん)】
油を使わない製法で消化に良く 、長さ9cmにしたのも、すする時に体力を使わずに食べられるようにと、
病人に対する温かい慈悲の心が込められています。
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きのこのおくずがけうーめん🍄🟫
“おくずがけ”は仙台の郷土料理です♪
【うーめん由来】
胃を病んで何日も絶食しなければならない父親を心配し、旅の僧から聞いた油を使わない製法で麺を作ったのが起源。
ある日、旅の僧から教えてもらった消化に良い麺をすすめると、父の食欲は増し症状も回復したそうです。 その話に感銘を受けた白石城主、片倉小十郎公は「人を思いやる温かい心を持つ麺」という意味を込め、「温麺(うーめん)」と名付けられました。
無事に戒律を守ることができました〜👍✨
🚙🚌💨💨💨
不忘平和記念公園
県内でもあまり知られていない場所。
敵味方無く同じ人間に対し慈悲の気持ちを向けた地元住民に感動し、ここにお坊さま方をお連れしたいと思いました。
【不忘平和記念公園 経緯】
1945年3月10日、
太平洋戦争東京大空襲の最中
宮城県の不忘山に3機のB-29が時間差で墜落。
搭乗者34人は全員死亡。
慰霊碑は
アメリカの兵士である敵の遺体を
慎重に埋葬したことによって建てられた。
当時の不忘山はひどい吹雪の夜で、翌朝現場へ向かった地元住民の話しでは、パラシュートの布に包まって、焚き火で暖をとろうとしながら凍死していた若い兵士が数名いたという。
その状況を目撃した地元住民は
「夏場であれば死ぬこともなかったろうに…」と憐れみ、敵味方以前の、同じ人間同士として埋葬した。
人として、慈悲の心を向けて取られたこの行動。地元住民はその時、“今自分達に出来ることを”迷わず実践され、そこに真実の世界平和があったこと”を誇りに思います🙏✨
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アメリカ兵の墓石の前に立つ両師
⭐︎墓石はレプリカです。遺体は戦後アメリカへ返還されました。
34人の搭乗者は殆ど20歳前後の若者でした。
墓地の中をゆっくりと歩くスティサート師
墓石を一つ一つ確認されながら歩くサンティポン師
不忘山全景
青い空と不忘山を望む…
「空がとても近く感じた」と仰る参加者もおられました☺️
赤く紅葉🍁した灯台躑躅(ドウダンツツジ)を
興味深く観察されていました🍂
慰霊碑の前で…✨
記念撮影
慰霊の瞑想🙏🙏🙏
出発間際にスティサート師のご提案で、当時の地元住民への感謝の気持ちとアメリカ兵を慰めるために、10分間の瞑想を行って下さいました🙏✨
慰霊碑の前に正座で瞑想されるサンティポン師🙏✨
岩に座し瞑想されるスティサート師🙏✨
皆さん、思い思いの場所とスタイルで瞑想実践し弔ってくださいました🙏✨
🚙🚌💨💨💨
山元町中浜小学校震災遺構🏫
次に向かったのは
山元町中浜小学校震災遺構
2021/3/11に発生した東日本大震災。
巨大津波が東北地方の海岸沿いの町に襲いかかりました。
中浜小学校も海沿いに建てられた小学校で、避難を余儀なくされました。
しかし、高台への避難か?屋上への避難か?迷った末の校長先生の判断!
結果、屋上で全員が無事でいられたことは何よりだったのですが、今でもその判断が正しかったのかは分からないと、校長自ら仰られています。
ただ、今回90名全員の命を救った校舎。そこには小学校を建てる段階で、町の住民による津波や高潮対策の声を町役場が受け入れて、しっかり対策を施していたために救われた命であったことは確かです。
語り部さんの案内で見学
多目的ホール
建物の悲惨な状況をしっかりと心に刻む両師。
2階の津波到達表示部まで浸水しました。
各教室が水没
震災の様子を映像で…。
英字幕をつけてもらいました。
震災前は防災林の黒松が海岸に沿ってあった場所です。
以前はこんなにはっきりと海が見えることはありませんでした。
矢印の高さまで津波が襲いかかりました。
赤丸の建物の中に90名の命が恐怖に耐え忍んでいました。
校舎の模型
矢印の部分まで浸水
アクリル板で分かりやすく工夫されてます。
津波の来た方向をジッと見つめるスティサート師🌊
震災の状況を詳しく確認されるサンティポン師
記念撮影
🚙🚌💨💨💨
観光1日目終了☑️
🚉仙台駅〜やまぶき亭〜
⛰️不忘平和記念公園〜
🏫山元町中浜小学校震災遺構〜
🚉仙台駅 走行距離:150km
所感
観光1日目は宮城県南部の山方面と海方面をご案内させていただきました。
不忘平和記念公園は宮城県の方々にもあまり知られておりません。そこでは敵味方無く、人として亡くなった方々を葬った事実があり、中には憎しみを持っていた方もいたと思いますが、一部の人が、敵である兵士に慈悲の心を向けそこには正真正銘の世界平和があったこと🙏✨この思いをお坊さま方、そして浦崎さんはしっかり汲み取って下さったことに心から感謝致します🙏🙏🙏
中浜小学校震災遺構では、閉館間際に着いてしまったにも関わらず、語り部の方が丁寧に説明してくださり、その説明を熱心に聴いているお坊さま方に、語り部の方も熱が入りたくさんのことを教えてくださいました。
90名の命を救った校舎。そこにはたくさんの良き環境と条件の組み合わせがあった結果だったんだなと学ぶことができました🙏✨
観光第1日目!お坊さまを始め参加者の皆さまも、
大変満足されたご様子で、ご案内して本当に良かったです❣️
最後までご覧いただきありがとうございました😄🙏✨
※写真の掲載は参加者の皆様から許可をいただいております。
⭐︎観光編2日目へ続く…🚙🚌💨
⭐︎次回最終回投稿は2025/1/19(日)予定です。