タイのイサーン(東北地方)から、初めて日本のイサーンに来られたタイの方々に、宮城県ならではの場所を観て頂きたく観光の計画を立てました。
1日目:不坊平和記念公園 & 中浜小学校震災遺構
2日目:塩釜は多聞山 & 松島は五大堂、雄島 & 瑞巌寺
2日目は日本三景松島で、先人の僧侶が修行された遺跡を見学し、瑞巌寺のご住職との対談により、お互いのご縁を深め合った旅となりました。
それでは2日目のレポートをご覧ください🙏
多聞山
先ず始めに
松島四大観の一つ『多聞山』へ♪
案内板で場所を確認❗️
毘沙門堂に続く長い階段を降りて行きます
奥に見えるお堂が『毘沙門堂』
毘沙門堂の横にある鐘を突いてみた♪
毘沙門堂で手を合わせる…🙏✨
松島を眺めながら静かに瞑想するスティサート師
毘沙門堂からの松島の風景
【多聞山】
「多聞山(たもんざん)」は七ヶ浜町にある、標高56mほどの低山。
松島四大観(まつしましだいかん)の一つで、景色には“偉観(いかん)”の名がついている。
"偉観”の景色がみられるのは、「毘沙門堂(びしゃもんどう)」の裏手から。「馬放島(まはなじま)、「地蔵島(じぞうじま)」、「仁王島(におうじま)」など。
⭐︎松島四大観……仙台藩の儒教学者・舟山萬年が選んだ、松島を望む四ヵ所の景勝地。大高森(壮観)、多聞山(偉観)、富山 (麗観)、扇谷(幽観)。
(※松島観光ナビより引用)
在家の方も瞑想
石碑の文字を見つめるサンティポン師
サンティポン師の問いかけに、文字の意味を読み解く浦崎さんと日本人メンバー
マイペースでゆったりと歩くサンティポン師☺️
…っと思ったら、
石段の縁を平均台の様に歩いていました…😳
なんか楽しそう😄❤️
サンティポン師「この木、桜?」
私「はい、そうですね☺️🌸」
桜の木を撮影されるサンティポン師
桜の木に手を置いて撮影され…
ご自身の年齢と重ね合わせているのかなぁ☺️
🍛昼食
日本人メンバーのご自宅
『ブックカフェSafari』へ♪
奥様手作りのカレー🍛をタンブンしてくださいました🙏
お坊さまに徳を積んで下さったお礼と感謝の気持ちを込めて、お坊さまの方からも皆さまが幸せに健康でいられます様にと、お経を唱えてくださいました🙏🙏🙏
メニューにもタイ語と英語で分かりやすく👍
お店の前で記念撮影📸
⛴️松島へ
塩釜港からフェリーに乗って松島へ
天気に恵まれて波も穏やか☀️
まさにマリン観光日和です⛴️
震災後、新たに建て替えられた塩釜漁港
在家の方々も楽しそう❤️
👆妹のウアンさんが撮ったショットが
👇コレ(兄トイさんと♪)
【松島】
日本三景とは、京都の「天橋立」、広島の「宮島」そして宮城の「松島」のこと。
江戸時代の儒教学者・林春斎(はやしがほう)が記した、『日本国事跡考』に登場したのが始まりと伝えられている。
松島とは、松島湾内外に浮かぶ260余りある島々の総称。
はるか昔の丘陵地が、地殻変動によって沈下し、山や丘の頂上部分が海面に残り島となった。
仁王島、千貫島、小藻根島、鐘島、双子島、かえる島、鎧島など、大小全ての島に名前がついている。
風光明媚な松島は、古から月の名所として知られている。仙台藩初代藩主・伊達政宗をはじめ、俳人・松島芭蕉や、アルベルト・アインシュタインなども、月見目当てに松島を訪れた。
(※松島観光ナビより引用)
松島の島々を見つめながら瞑想されるサンティポン師
突然、私の方を向いて
サンティポン師「あれ、多聞山じゃない?」
私「え〜〜⁉️違いますよ〜‼️」
サンティポン師「多聞山だよ。ほら。」
よく見たら、毘沙門堂が見えた…😳💧
恐るべし😱❗️サンティポン師‼️
アナウンスを聞きながら右側、左側と移動されるサンティポン師
兜島
鐘島
スティサート師も東北の海と松島の島々を静かに見つめていらっしゃいました。
松島港に到着!
心静かに待ちながら、
降りる準備を整えておられる両師🙏
五大堂
先ずは五大堂へ
「透橋(すかしばし)」
【五大堂】
平安時代にあたる大同2年(807)、東北征討のため訪れた征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が建立した「毘沙門堂」が、五大堂のはじまりと伝えられている。
その後天長五年(828)、慈覚大師・円仁が五大明王像を安置したことから「五大堂」と呼ばれるようになった。
現在のお堂は江戸時代の慶長9年(1604)、仙台藩初代藩主・伊達政宗公によって建立されたもの。東北地方に現存する最古の桃山建築であり、国の重要文化財に指定されている。
五大堂の幹回りには方位に従って十二支の彫刻が配されており、お堂を一回りすればすべての干支をみられる。
(※松島観光ナビより引用)
五大堂
五大堂の案内板をしっかり読んで…
在家者に説明をされる浦崎先生❗️
無事にここまでみなさんをご案内出来たことに感謝の気持ちを込めて🙏✨
干支の彫刻に盛り上がってました😅
五大堂を静かに見つめられるサンティポン師
雄島
次のポイントの雄島へ👇
松島洞窟遺跡
渡月橋
この橋を渡った先が雄島
【雄島】
雄島は瑞巌寺の「奥の院」とも称される霊地で、松島の地名の発祥地という伝承も残されている。島のいたるところに石碑が乱立し、岩窟群の中には仏像や石塔などが安置されており、中世の頃”奥州の高野”と称される死者供養の霊場だった。
見仏上人は伯耆国(現在の鳥取県)から来て、雄島妙覚庵に住み、12年間修行を続けたことで知られている。後鳥羽上皇が千本の松を贈って偉業を讃えたことから「千松島」→「松島」と呼ばれるようになったと言われている。
また江戸時代の俳人・松尾芭蕉は、『奥の細道』で弟子の曽良と共に雄島を訪ねており、句碑が建っている。
雄島に22年間住み、一度も島を出ることなく法華経を唱え続けた頼賢(らいけん)という僧がおり、彼の徳行を伝えるため弟子が建立した「頼賢の碑」は、国の重要文化財に指定されている。
(※松島観光ナビより引用)
渡月橋を渡った先にはたくさんの石仏が
隧道(ずいどう)
【見仏堂跡】
雄島は見仏上人が島から一歩も出ずに12年間修行を続けた島で、ときの後鳥羽上皇が千本の松を贈って偉業を讃えたところから「千松島」→「松島」と呼ばれるようになったと言われている。(※AI検索より)
瑞巌寺
瑞巌寺ご住職の案内で
御成玄関
本堂の南西端に位置する、天皇、皇族、藩主専用の玄関
中門
本堂正面に位置する一般人用の玄関
庫裡
寺院で主として台所の役割を担う建物
【瑞巌寺】
高名な戦国大名・伊達政宗の菩提寺である瑞巌寺。828年に建立され、その後戦国時代を経て衰退した寺を伊達政宗が再建しました。随所に政宗の美意識を感じさせるつくりとなっている。
国宝に指定されている「本堂」と「庫裡」。華やかな本堂襖絵は必見。本堂前にある「臥龍梅」が春には美しい花を咲かせる。寺の台所である「庫裡」にも唐草などの彫刻が施され政宗のこだわりが表れている。
「御成門」「中門」「太鼓塀」は国の重要文化財に指定。その他にも「洞窟遺跡群」や「法身窟」など見どころが多い。
「青龍殿(宝物館)」には伊達家ゆかりの絵画・茶器のほか本堂襖絵の実物なども展示されている。
(※東北観光推進機構より)
本堂内より
この後、特別に本堂の各部屋に入れて頂きご説明を受けました。
孔雀の間 本堂の中心となる孔雀の間👆👆
正面には仏間があり、ご本尊の聖観世音菩薩像が祀られています。
(※写真:瑞巌寺フォトライブラリーより)
🤭ちょっとしたハプニング
ご住職の説明が始まった直後に、ご住職の後ろに立っておられたスティサート師とサンティポン師が、おもむろに正座になり、ご本尊に向かって三回拝礼をされ、それに倣って在家者方も三回拝礼を行いました。
ブッダを敬うことが身についていると、この様な行いは“特別なこと”ではなくなるんですね☺️🙏✨
在家の方を向いてご説明されていたご住職は、在家の行いをみて驚かれたようなご様子でした。
坐禅の間で対談
「私も最初は初期仏教を学びたかった」と仰っるご住職。タイ仏教のお坊さまを受け入れて下さったのだなぁと感じました☺️🙏✨
記念撮影
同じ僧侶として…🙏
部屋を出る前に菩薩様に手を合わせる在家の皆さま🙏
本堂
サンティポン師はいつもこうして草花を手のひらに当てて見せてくださいます。
こうすることで植物の細かなところまで観察しやすくなるからだそうです☺️
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所感
塩釜、松島観光も、とても有意義な旅となり、タイ、中国の皆さまもとても喜んでくださいました。
この2日間の旅でとても印象的だったこと…それは、
皆さんが、行く先々の場所でも真剣に向き合われていたこと。まさに“今ここにいる”感じでした🙏✨
ここがどんな場所なのかを深く理解されようとするお姿が、この旅を更に充実したものにしてくださいました。
心から感謝致します🙏✨
ブログを読んで下さった皆さまも、
宮城県にお越しの際は、ぜひ今回ご紹介した場所にもお立ち寄り下さいね♪
最後までお読みくださり本当にありがとうございました🙏
Sadhu! Sadhu! Sadhu!🙏✨🙏✨🙏
最終回 完
※写真の掲載は参加者の皆様から許可をいただいております。