アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「出世欲」です。

[Q]

   
出世欲、認めて欲しい、評価して欲しい、という欲があることが気になっています。取り除きたいと思うのですが、なかなか取れません。どうすればいいでしょうか?
 

[A]


■「自分」という気持ちが心の成長の目安

    生きている上では、私たちには自我意識というものがあるのです。これは恐ろしいエゴ(自我)そのもので、自分のためならどんな悪でもやってしまいます。自我を肯定するために恐ろしい世界を作ってしまうのです。
    しかし仏道に入った人は「欲はかっこ悪い、クールではないのだ」というふうに心が向上するのです。それで自分のためなら何でもやるという恐ろしい気持ち=エゴは消えますが、「自分がいるんじゃないかなぁ」という気持ち(セルフコンシャスネス)は相変わらず残ってしまいます。でも悪いことはしません。この「自分」という意識が完全に取れるのは最終的な悟り(阿羅漢果)に達する時です。

■出世欲を持つのは悪くない

    「どんな手段をとっても出世したい」というのは恐ろしい欲ですが、仕事をして出世することは自然な流れです。「出世したい」というぐらいの気持ちを持つのは悪くないのです。厳密に言えば煩悩ですが罪や悪には至りません。逆に、善い行為に至る可能性も大いにありますから、危険視する必要はありません。例えば瞑想会を開いて皆で仏教を学ぼうということになるのも「何かやりたい」という煩悩が善い方向に働いたからです。
    欲は恐ろしいものです。欲のせいで痴漢もするし、物を盗むし、人も殺す。ただ、ブッダの道に入るとまだ欲があっても、それで善いことをするのです。人は自分で何かやったという喜びを感じたいものです。それも欲といえば欲ですが、悪いことはしません。人は結局、「出世したい」という欲が無ければ解脱にも達せられないのです。

■煩悩は人を向上させる梯子にもなる

    欲というものは、ふつうは堕落する方向に働きますが、真理の道を歩むと、同じ欲が人を向上する方向に押してくれる梯子になるのです。てっぺんまで登ったら、もう梯子は要りませんね。仏弟子にとっては煩悩が、危険なところから安全な場所に上るための梯子になってくれるのです。まじめに修行する人には煩悩が良い方向に機能します。だから、出世したい気持ちは無くしてはならないと私は思います。論理的に、人々のためを思って、自分や周りの幸福を思って出世しようというのであれば問題になりません。
    人は何もしないと堕落して壊れてしまいます。堕落はいやだ、退化はだめだ、進化するべきだと励み続けなければいけないのです。危険なエゴを無くして「自分を退化させてならない」と煩悩を善い方向に働かせて、自分が進化する道を歩むことです。

■「評価されたい」という気持ちを乗り越える

    それから、認めて欲しい・評価して欲しい、という問題があります。それはエゴが引き起こす感情です。エゴが働くと自分の存在が小さく・社会が巨大に感じるのです。その社会に認められると小さなエゴが安心して気分が良いのですが、それによってエゴが固定されてしまいます。
    進化する道を歩むと、徐々にエゴが薄くなって、成長したい・堕落したくないという気持ちに変わるのです。そうなると、もうそんなに他人からの承認を欲しがらなくなります。煩悩を無くしたい、心を成長させたい、解脱に達したい、という「出世欲」で生きる人は、自分にとっても他人にとっても善いことばかりで、社会が認めざるを得ない状況になるのです。


■出典      『それならブッダにきいてみよう:こころ編2」

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