【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「テーラワーダのお経の唱え方の型は?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。
[Q]
テーラワーダのお坊さんの読経の調子は、毎回違っていますが、唱え方の型のようなものはあるのでしょうか。それともその都度、即興で作曲しているのでしょうか。でも仏教では歌はいけないのですよね?
[A]
読経の調子が毎回変わるとは私のことでしょう。テーラワーダのお坊さんたちは私には読経を頼みません。どれほど能力があるかは、それでわかるでしょう。しかしスリランカでも宗派によって、人によって、読経の仕方はさまざまです。国によっても違います。ミャンマーの読経の仕方とタイのやり方はずいぶん違います。気にする必要はないと思います。
お釈迦様は歌の調子での読経を禁止しています。楽譜に合わせて読経するのではないのです。だいいち読経とは自己観察の仕事なのです。お経の内容をゆっくり念じてみる時間なのです。またはお釈迦様が自分に語りかけてくるような気持ちになるための習慣でもあります。
読経の調子はどのように決めればよいのでしょうか。これが少々難しいのです。歌、音楽などは人の気持ちを変える能力をもっています。ただの音なのに、楽しくなったり、悲しくなったりします。歌や音楽は貪瞋痴の感情をかき回す世界です。当然仏教では禁止項目です。読経の調子は貪瞋痴の感情を控えて、不貪不瞋不痴の気持ちが現れるようにしなくてはいけないのです。私が読経するときは、そのような気持ちでやっているつもりですが、なかなかうまくいかないようです。ですから毎回、調子が変わってしまうのです。毎回どころではなく、一回の読経のときでも調子が変わってしまうのです。読経の能力のあるお坊さんたちはかなり違います。とても丁寧に真剣に発音と音の管理をして読経するのです。
■出典 『ブッダの質問箱』