鄭 雄一(東京大学大学院教授、医工学者、道徳哲学者)


AIやロボットへ善悪を判断する「道徳エンジン」を搭載する研究に取り組んでいる東京大学大学院教授の鄭雄一先生へのインタビュー。私たちの社会で流通している「正しさ」の基本原理を明らかにするとともに、慈悲の瞑想や悟りについて掘り下げながら、仏教が持つ行動変容の驚くべき可能性をうかがいました。


第2回    慈悲の瞑想と4つの道徳次元


■慈悲の瞑想は道徳の四段階で理解できる

    私は以前から、道徳の段階を4つの次元で説明していますが、これは慈悲の瞑想と同じではないかととらえています。

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「道徳次元」と名づけていますが、道徳次元1から2、3、4と、段階がありまして。まず、道徳次元1というのは要するに個人の欲に閉じている段階です。具体的には「おいしいものが食べたい」とか「寝たい」とか「生きたい」といった個人の欲求。これは慈悲の瞑想の最初、「私は幸せでありますように」という段階と一緒である、と。
    道徳次元2になると、そこに他人が入ってきます。まだ利己心は残っているのですが「評判・信用」と図にもあるように、他人のことを意識し始めます。
    それがもっと進んだ道徳次元3になると、本当の意味で利他とか献身ができるようになる。ただし、それはある特定の社会の中だけという条件付きです。
    そして、道徳次元3をさらに超えて道徳次元4に達すると、慈悲の瞑想では「自分の嫌いな人も幸せでありますように」とあるように、最後は仲間という意識を超越して敵のことも受容できる。そこまでくると、「寛容性・多様性」ということになるのではないかと思います。そしてこれは、まさに慈悲の瞑想と同じではないかと思うのです。