鄭 雄一(東京大学大学院教授、医工学者、道徳哲学者)


AIやロボットへ善悪を判断する「道徳エンジン」を搭載する研究に取り組んでいる東京大学大学院教授の鄭雄一先生へのインタビュー。私たちの社会で流通している「正しさ」の基本原理を明らかにするとともに、慈悲の瞑想や悟りについて掘り下げながら、仏教が持つ行動変容の驚くべき可能性をうかがいました。


第3回    仲間の定義と道徳との関係


■「仲間」は人間に限らない

編集部    鄭先生は道徳の基本原理を「仲間かどうか」と定義されていますが、仏教の仲間というのは「有情」とか「衆生」という、感覚をもっているすべての生命になります。対象が「人間」というくくりではなくて、生きとし生けるものすべてですので、「生きとし生けるものすべてが仲間なんだ」というリアリティを育てるところが肝心なのではないかと感じます。そうしたときに、広く人間の社会や人間の世界へ、あるいはもっと他の生命も含むような水平方向に仲間の意識を広げることも大切ですが、仏教は垂直方向、「そもそも私たちは誰なんだ」というところに根をおろしていくことが大事とされていて、そこの根のおろし方によって水平方向の垣根が無効になっていくような考え方をしているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

    対象が「人間」というくくりにとどまらない点はすごく大事だと思っています。ただ、私の言う仲間の理論も、人間に限らないです。
    私は、仲間というのは、そんなにカッチリと範囲を区切ったりできるものではないと思っています。「人間にかかわらず」というところは仏教と同じで、出会っていてとくに危害が与えられなければ、我々は仲間として扱ってしまうのではないかと考えています。