アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「芸術と仏教」です。
[Q]
芸術は良くないものですか? 慈しみを育むお芝居でもお釈迦様は反対されたのでしょうか?
私は美術を学んで、今は子供の学習教材を作る仕事をしています。いずれは絵本や音楽の制作もしたいと思ってます。優しいこころを育んだり、守ることを伝える--そんなものを目指しています。慈しみの気持ちを願い作品を作っていますが、実際のところお釈迦様はどう思われるのか心配です。
[A]
■芸術を通して善行為できるが難易度は高い
芸術に限らずどんな行為でも、あなたの意志(cetanā)はどんな目的なのか、ということよって善悪が決まるのです。
例えば子供にストーリーを作って喋ることで勉強が進るならそれはすごくいいことでしょう。芸術というのは幅広いんだけど、仏教でも『ジャータカ』などの物語がいっぱいあります。 物語って芸術でしょう? 文学作品ですからね。仏教徒たちはそれを実際のお釈迦様の過去物語だと信仰していますけど、私は別にフィクションでも構わないと思っています。なぜならばそのストーリーを通してとても大事なことをわかりやすく教えていて、私たちの脳みそにとても覚えやすいからです。
脳っていうのは、現実を滅茶苦茶に組み立ててストーリーを作るんです。自分の都合に合わせて脳内でずーっとストーリーが回転している。それなら上質なストーリーを聞かせた方がいいんじゃないと思いますよ。
飲みにくい薬を飲む時にオブラートで包みますよね。ストーリーにはそういうこともできるということです。文学的な能力が上がれば上がるほどたくさんのデータや情報を、わかりやすく伝えることができます。長いだけでメッセージが何も無いストーリーは無駄話なんですね。時間の無駄は悪行為です。ですから仏教の伝統では、インドの『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』という物語は、お坊さんたちには禁止しています。しかし、インドのヒンドゥー教文化では重要なコンテンツで、よくドラマになったりしています。戦いの話ばかりで何も道徳的な要素は無いんですけどね。仏教には『ジャータカ』があります。五五〇話あって、わかりやすく教訓を伝えるために書かれています。イソップ物語にはジャータカが元になっているものもあるという話を聞いたことがあります。
私が考えたのは、絵画もいいでしょうし、音楽も、勉強になったり楽しい気持ちになる歌詞にメロディーを乗せれば、楽しくて歌詞を憶えられるというふうに使えると思います。ただ、喜怒哀楽の感情をかき混ぜがちなので、出家者には音楽は禁止されているんですね。でも「物語を読むなよ」とか「詩歌を使うなよ」とは言ってないんです。仏典の難しいところは、ほとんど「偈」です。偈というのは歌ですからね。ポエムにしているんです。ポエムのほうが覚えやすいし便利ですね。表現は人々のために良い目的で使わなくてはいけません。人間だけじゃなくて他の動物にも役に立つなら、より有り難いですね。
だからいきなり「芸術はどうでしょうか?」ではなくて、芸術も人間が持っている一つの道具なので、生命の役に立つように使うことです。より道徳的でより思いやりのある、人の痛みを感じられる、心が清らかになる、欲や怒りを控えてくれるという目的ならば、どんな道具を使っても構わないと思います。
《音楽用語に、ハーモニーってあるじゃないですか。芸術表現につきものの一体感とか調和とか、そういうものは精神的成長とも関係あるようにも思えるのですが……》
その場合は自分を捨てて、客観的な音に自分を合わせないといけないのです。ある音楽家が「自分たちが音楽を奏でている時は一つのサマーディですよ。あれこれと考えながら、集中せずにできることじゃないんです」と言っていました。だから、確かに生の演奏や歌っているところを見ると、心を統一しているんだなと感じますね。問題は、「それで貪瞋痴が増えるでしょうか? 無くなるでしょうか?」ということです。精神的な規律(discipline)は当然あります。特に音楽の世界は規律無しに成り立ちません。ギターを弾くにしても、かなり脳の訓練と身体の訓練と規律があって、入り込まないとできないんですね。だからある程度で規律が起きますけど、でも結局は「気持ちいいでしょう? 感動したでしょう?」という結果になっちゃうんです。そこにもう一つ、何かメッセージがあった方がいいのに、なかなかねぇ……。
結局、私たちの脳はとても快楽を欲しているんですね。食べる時も栄養さえあれば充分なのに、美味しいものを食えと命令する。耳も、危険を避ける程度で充分なのに、音楽などで快楽を得ようとする。それが脳の仕組みなんです。ファッションも同じでしょう? どんな服を着るかで芸術が現れてくるし、視力を補正するためのメガネにしてもたくさんのデザインがあるんですから。これは脳みそが快楽を求めているからなんです。だから本当は、快楽というポイントを攻略して、その先にある善いことを伝えて欲しいんです。快楽だけだと何の成長も何の進化もしなくなっちゃいますから。
つまり、芸術を通して、ためになる善いことを広めるのはかなり難易度が高いってことです。能力のある人にしかできないんですね。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: ライフハック編2』
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