永沢哲(宗教学者)
今年6月から9月にかけて、「人生の最期をいかに豊かにしていくか」をテーマにした連続オンラインセミナー 「死と看取りセミナー~逝く人へ 看取る人へ 豊かな最期を迎えるために」を開催しました。
最期のときは誰にでも平等に訪れます。そのときをどのように迎えるのか、あるいはそのときどのように見送るのかは人生の一大事です。
団塊世代の多死時代を迎えるこれから、看取る家族はどのように家族の死と向きあったらよいのでしょうか。また、逝く人は自らの最期をどのように受け止め、迎えていけばよいでしょうか。死は等しく誰もが経験することですが、「逝く」とき、私たちは何を経験するのか。どのようにその時を迎えたらよいのか。
このオンラインセミナーは、看取る人が知っておくべきことや、心に置いておいたほうがよいことを学ぶとともに、逝く人が自らの死生観を見つめ直すきっかけを作ることができればと思って企画したものです。
看取りの体験は、残された人の人生を充実させ、人生の土台を作ることにもなります。「看取りきる」経験は、残された人の人生を豊かにすることでもあります。
第5回の講師はチベット仏教を研究する宗教学者である永沢哲先生です。チベット密教の経典として有名な『チベットの死者の書』(バルドトゥドゥル)の本質、看取りの時における慈しみの実践についての解説いただくとともに、「死に逝く修行者への助言」に基づき、死に逝くときの準備について実践も交えながらお話しいただきました。
第1回 バルドとはなにか
■生のバルド
皆さん、こんにちは。永沢哲です。本日は「チベットでは自分が死ぬためにどういう準備をするか」といったことや、「チベットでは人を看取るときにどういうことに気をつけるとよいと考えられているか」ということを中心にお話させていただこうと思います。
永沢哲先生
チベットには『チベットの死者の書』──チベット語の原題は「バルドトゥドゥル」──という有名な経典があります。この経典には「死のプロセスはどのように展開していくのか」ということが詳しく書かれています。チベットでは、呼吸が止まる少し前から、あるいは、もし余裕があれば、元気なうちに読んでおくととてもよいというふうにされている経典です。
バルドトゥドゥルの「バルド」というのは「中間状態」という意味です。狭い意味で言うと、死んでから次の再生までの中間の状態、いわゆる日本の漢訳仏典用語で言う中有(ちゅうう)とか、中陰(ちゅういん)と言われる期間を意味します。ですから「バルドトゥドゥル」全体では、「中有の状態において耳で聞いて解脱する書」という意味になります。
いま「狭い意味で」と申し上げたのは、チベットで伝えられる高度の密教では「輪廻が始まってから、解脱に至るまでの全部のプロセスがバルドである」と広く解釈する考え方があるからです。私たちはいつから始まったかはわからない過去――仏教用語で言うと無始の過去から輪廻を続けてきているわけですけども、それが最終的に終結して、つまり解脱してブッダになる。その間の期間全体がバルドだというわけです。
その考え方で言えば、いま私が皆さんに話をしていて、皆さんがそれを聞いていらっしゃるのもバルドであるということになります。これは「生のバルド」というふうに言います。生のバルドのなかでも座禅やマインドフルネスなどで禅定に入って、心が非常に静かになっている状態のことを特に「禅定のバルド」と言います。それから、睡眠に入り夢を見ている時間を「夢のバルド」と呼びます。いずれも生のバルドに含まれます。
■死のバルド
次は「死のバルド」です。はっきりとした死の原因となる病が始まってから最期の息をつくまで──それが10日なのか、3週間なのか、人によってはもっと長い場合もあるかもしれませんけども──その過程全体を「死のバルド」というふうに言います。
今日これからするお話は、この死のバルドの期間に当たる内容がメインになります。
チベットの密教では、「プラーナ」という生命エネルギーの運動が人間の意識状態や活動にどういう影響をもたらすのか、どのような役割を果たすのか、ということについて、非常に精密な観察と分析が行われてきました。
私たちが外から観察できる呼吸を、チベットでは「外の呼吸」あるいは「外の息」と言います。この外の息が止まった後も、身体の内部ではまだプラーナの運動が続いています。プラーナの運動のことを「内なる息」とも言いますけれども、外の息が止まってから内なる息が止まるまでの間にはふつうは30分から1時間ほど時間的なギャップがあるとされます。
プラーナの運動が完全に止まった後、しばらくして意識と肉体の分離が起こります。死のバルドはそのプロセスも含むことになります。
■法性のバルド
その後に、今度は存在の本性(ほんせい)のバルド、仏教用語では法性(ほっしょう)ですけれども、「法性のバルド」が始まります。
私たちがいま普通に生きて体験している世界はすべて幻、夢である。私たちはそれぞれに異なる現象の世界を生き、そのなかで喜んだり悲しんだり怒ったり、あるいは何かを強く欲望したり、嫉妬したり、慢心を抱いて人を支配しようと思ったりして生きています。だけどそれは全部夢のなかの行為、幻のなかの行為です。
そういういわば非常に粗大なレベルの意識の活動が全部停止した後に、その現象の本質・本性というべき非常に微細なレベルにおけるリアリティがあらわになってくる。その時にあらわれてくるいろいろなヴィジョンや音の体験──たとえば青空のように広々とした心の状態や、鮮やかな光など──が死後しばらく断続的に起こってくる。それを「法性のバルド」と呼ぶわけです。
心の一番深いところにある、普通はアクセスできないような微細なレベルの本質に触れる、それを体験する、そういう時間が「法性のバルド」ということになります。
■再生のバルド
その後、今度は「再生のバルド」に入っていきます。意識と肉体が分離して、仏教用語で言う意成身(いじょうしん)の状態になる。その状態のなかで、次の再生に向かっていく段階です。
次にどこに生まれるかはわかりませんけど、たとえば人間に生まれる場合であれば、次の生で父親と母親になる人のところに行って母親の体内に入って受胎する。その受胎する瞬間までの間を、「再生のバルド」と言います。
■生は大きな夢である
このように『チベットの死者の書』の背景にある密教の哲学によれば、バルドという言葉は、広い意味で言うと輪廻転生の全体を意味するわけです。その根本にあるのは、「私たちがいま普通に生きている現実(リアリティ)は夢である」、あるいは「幻である」という考え方です。
その夢・幻からいかに目が覚めるのかということを、明らかにしたのが『チベットの死者の書』(バルドトゥドゥル)なのです。
夢を見て夜中に目が覚めて、それからまた寝てまた違う夢を見て……というように、一晩のうちに夢をいくつも見たりすることがありますよね。それと同じで、いつ始まったかはわからないけれども何度も輪廻転生を繰り返しながら、私たちはいろいろな夢を見ています。「生まれてこの方、私はこういう人間で、私の周りにはこういう世界が広がっていて……」というふうに思っていますけれども、そうやって生きている在り方そのものが全部夢なのであって、死ぬというのは、人生という名前のついた一つの夢が終わることだと考えられているわけです。
■『チベットの死者の書』(バルドトゥドゥル)とは伝統の上に咲いた大きな花
『チベットの死者の書』(バルドトゥドゥル)は、もちろんそれだけで単独で出てきたわけでなくて、インドにおけるさまざまな内面的な、精神的な、霊的な探求の伝統と、仏教の非常に厚い知識が積み重ねられてきた伝統の上に咲いた大きな花の一つです。
お釈迦様が弟子たちに「死ぬときにはどういう準備をしたらいいか」ということを説いた非常に短い経典──「十の要点を説き明かす経」(チベット語で「ドチュ」)──が、チベット語に翻訳された顕教経典のなかに含まれています。お釈迦様のご存命の時に亡くなっていくお弟子さんもたくさんいましたので、そういうお弟子さんのために、「執着を捨てなさいよ」「怖れを捨てなさいよ」「こういうふうにしたほうがいいよ」とお釈迦様が説かれて、それをお弟子さんたちが非常に喜んだという経典です。
これは10個の項目から成る非常に短い経典ですけれども、そういうものも含めて、仏教には死についての非常に分厚い体験的知恵の積み重ねがあります。さらに密教になってくると、テーラワーダの瞑想とはかなりタイプの違う、臨死状態に近い状態を作り出す瞑想があります。それらすべての伝統の上に、この『チベットの死者の書』(バルドトゥドゥル)は生まれてきたと言えます。
チベット仏教は、大乗仏教のなかでも特に密教と顕教が融合していて、顕教の土台の上に密教の修行をすることになっています。『チベットの死者の書』はその全体の頂点に近い視点から、死について解き明かすのです。
(つづく)
参照
パドマサンバヴァ+カルマリンパ『チベットの死者の書』
ドドゥプチェン・ジグメテンペニマ「死に逝く修行者への助言」
永沢哲「極楽へ」(『チベット仏教の世界』所収)
構成:中田亜希
サンガ新社 連続オンラインセミナー「死と看取りセミナー」
逝く人へ 看取る人へ 豊かな最期を迎えるために
2022年9月20日(水)ZOOMにて開催第2回 光と投影
サンガ新社連続オンラインセミナー
『死と看取りセミナー2死とは何か〜私たちの死生観を掘り下げるために〜』
主催:株式会社サンガ新社
2022年11月30日(水)〜2023年1月25日(水)全4回
https://peatix.com/event/3402216/view
「死と看取りセミナー」第2弾を開催します。
死をめぐる価値観、自分自身の、あるいは大切な人の死を前にした時に問われてくる「死生観」、あるいは大きく「生命観」について、医療、宗教、スピリチュアリティ(霊的・実存的領域)の、3つの視点を中心に皆様と考えていく連続セミナーです。
■第1回
2022年11月30日(水)20:00〜21:30
香山リカ先生×井上ウィマラ先生
「地域医療と看取り 人生モデルに寄り添う息づかいとは」
■第2回
2022年12月12日(月)20:00〜21:30
佐々涼子先生×藤田一照先生
「宗教心と最後の時間 逝く人、看取る人にとっての宗教の意味」
■第3回
2023年1月18日(水)20:00〜21:30
竹倉史人先生×
アルボムッレ・スマナサーラ長老
「輪廻転生」
■第4回
2023年1月25日(水)20:00〜21:30
島薗進先生
「私たちの死生観」
【参加方法】
◆各回ごとにご参加いただけます。
◆全4回を通し券でお申込みいただくと、割引価格でご参加いただけます。
◆全4回通し券を会期中にお求め頂いた方は、既開催セミナーの見逃し配信をご覧いただけます。
◆各回zoomで開催します。(見逃し配信もあります)
◆見逃し配信のみ(全4回セット)のチケットもご用意しています。
【チケット種別】
各回:3,500円(当日参加+見逃し配信)
割引全4回通し券:12,000円(当日参加+見逃し配信)
見逃し配信全4回券:10,000円(見逃し配信のみ)
※全4回通し券は、第1回から第4回まで全4回の見逃し配信付き参加券です。
※見逃し配信全4回券は、第1回から第4回まで全4回の見逃し配信のみご視聴いただけるチケットです。
※見逃し配信のみチケットは2023年1月31日(火)20:00までご購入いただけます。
※全ての回の見逃し配信は2023年2月1日(水)までを予定しております。