【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「座る瞑想時の お腹の膨らみ・縮みの観察の進み方」です。
[Q]
座る瞑想をしていて、お腹の膨らみ・縮みの感覚を観察している時、ただ膨らみ・縮みの感覚だけという状態があります。その状態は、どのようなものなのでしょうか?
[A]
■この世にあるものの発見
私たちにとって、一般的に吸ったり・吐いたりすることを大概知っていると思っています。しかし、呼吸や膨らみ・縮みを観察していると、身体の肺だけではなくすべての細胞が膨らんで縮んでいることを発見することになります。それから更に進んで観察すると、すべての物質にそのような膨らみ・縮みという波長・作用があると発見します。瞑想して自分が消えて膨らみ・縮みの感覚だけになってくる。それから少し観察範囲を広げると、経典には内と外と内外両方という表現で書かれていますが、そのように外に観察を向けると、動くものはすべて膨らみ・縮みという法則で成り立っているとわかるのです。五蘊だけではなく、外の世界も同じ法則です。それは精々、物質で理解できる範囲です。素粒子ですら停止しているものではなく、スピンという自転運動を続けているのだそうです。
■存在は無常の上に成り立つ
変化が一切無い、止まっている、膨らみ・縮みがない、というものはあるわけないのです。「変化しているからある(存在している)」のです。「ものがある」ということは、即ち「変化している」という意味になります。ですから、「ある」という単語には意味がありません。ただのラベルです。もし永遠な天国があるというなら、それも無常ということになります。誰か全知全能の神がいるというならば、その神も無常ということになってしまう。
■心は生滅し流れていく
すべての物事にはリズム・波長があって、それで成り立っているのです。心には生・滅しかありません。心に膨らみ・縮みはありません。心は物質ではありません。心に精々できることは生・滅だけです。それしかしていません。ですから、瞑想は物質の動きや感受から、生滅を観察する方向へと進んでいかなくてはいけません。膨らむという現象が永久的に消え、その代わりに縮みという現象が生まれてくる。縮みという現象も永久的に消えて、新たに膨らみという現象が生まれてくるのです。そのように観察していき、「ある」ということは生滅の流れであるということを発見し体験するのです。観察している自分の心も生滅の流れなのです。膨らみを観察した心に縮みを観察することはできません。すでに消えているのです。新たに生まれた心で縮みを観察するのです。縮みを観察した心も消え、別な心で膨らみを観察しているのです。感覚を観察してみれば瞬間に変わっていきます。それに伴って、心も瞬間に生滅変化していくという方向に観察能力を調整していくことになります。
■個別の観察
余計な説明になるかもしれませんが、私たちが物質を別々に観察しようとすると、足は足の勝手で動いているし、手は手の勝手で動いているし、肺は肺の勝手で、腸は腸の勝手で、心臓は心臓の勝手に動いている、という具合にバラバラに動いているように感じるのです。バラバラのリズムが見つかると思います。心臓の鼓動を感じるのと、お腹の膨らみ・縮みという感じは違うでしょう。結構違います。スピードも違います。
■全体的・総合的な観察
バラバラではなく、全体的に、ひとつの動きとしてまとめて見てみると、深い意味の膨らみ・縮みというリズムが発見できます。すべてに基本的な膨らみ・縮みというものがある。鼓動は心臓にある細胞が動いていることです。お腹の膨らみ・縮みは横隔膜の働きによるものです。横隔膜も細胞です。細胞単位でみると、それぞれバラバラのリズムで動くはずがないのです。大雑把に見るとバラバラですが、精密に見ると全体的に細胞たちの膨らみ・縮みというリズム・変化を感じることができるのです。
■出典 それならブッダにきいてみよう: 瞑想実践編3 | アルボムッレ・スマナサーラ | 仏教 | Kindleストア | Amazon