アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「寂しさとエゴ」です。

[Q]

    自分にとって「寂しさ」が問題だと思っています。これまでの寂しかった体験を振り返ると、置いて行かれる恐怖があり、恐怖は置いて行かれた・一人にされた怒りであると思いました。その怒りは「自分をもっと構って欲しい、構いなさい」といった思いで、それがエゴ(自我)なんだと気づく機会がありました。エゴを減らすために、どういったことを心がけていけばよろしいでしょうか?

[A]

■直そうとするのではなく、気づくことです

    特別に何かをしなければいけないということはありません。いつでも教えているように、慈悲の瞑想を続けて、自分のエゴを発見して進んで行ってください。エゴを発見すると同時に、このエゴが問題を作った、エゴがトラブルを引き起こしたとわかってきます。そのように順番に発見していくものです。そうすると自動的に、寂しさという問題も直っていきます。ですから、気にする必要はありません。
    エゴの問題を直そうと思っても直りません。エゴに気づくことで、因果法則によって直っていくのです。私はエゴという言葉ではなく、「エゴ(自我)の錯覚」という言葉を使います。「寂しい」「私を構って」「私のことを大事にしなさい」とか、いろんな成り立たない希望があります。人は皆、自分のことしか構っていられません。自分のことしか気にしません。なのに、一人が他人にそんなことを期待しても、それは決して叶わない希望なのです。決して叶わない希望を持ってしまうと、ものすごく苦しいのです。
    希望があっても叶うものならば、どうということはありません。実現不可能な希望を持つことは、病気だと言えます。実現可能な希望なら大丈夫です。例えば若者が「いい大学に入りたいな」とか、「海外旅行したいな」とか、そういうものは頑張れば実現することができますが「私のことをもっと構って欲しい」と言ったら、これはアウトです。誰も構ってくれません。
    とにかく、エゴの錯覚が割り込んでくるとトラブルしか起こらないと発見してみてください。そうすることで問題が直っていきます。自動的に直っていくので、そこを心配する必要はありません。私たちは病気になったら医者が処方する薬を飲む。それで終わりです。それ以上心配する必要はありません。きちんと薬を飲んでいれば、体が自然と治っていくのです。同じ法則で慈悲の瞑想をしていけば、心は清らかになっていくのです。頑張ってみてください。


■出典     『それならブッダにきいてみよう:こころ編3』

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