【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「孤独と幸福は矛盾しない」です。
[Q]
孤独を感じています。でも、どう対応していいかわかりません。
[A]
■人は孤独だが生きるためには助けがいる
だいたい誰もが孤独です。身近な人たちと喋ったり家には同居人がいたり、という程度の付き合いや関係はあっても、一人ひとりの命は本人が維持管理して生きています。たとえば自分が病気に罹って苦しんでいるとします。周りにたくさん仲間がいるからといって、皆と苦しみを分かちあって、その分楽になることはできません。自分一人で苦痛に耐えなくてはいけません。人は本来孤独なのです。しかし命が生き延びるためには、人々だけではなく動植物や微生物など、いろいろな他の生命の助け・支えが必要なのです。
■孤独ではなく依存が苦しみを生み出す
問題は「孤独を感じてなぜ悲しいのか? なぜ悩むのか?」にあります。悩まないのだったら「まぁ、そんなもんだ」と思って生きているはずでそれだけことです。ですから、孤独だな、苦しいなと思った、その人の心に問題があるのです。それは他人(環境)に依存して、充実した生き方をしようとしているからです。充実した生き方というのは、自分一人で作った方がよろしいのです。人がいて楽しいと思っても、いずれ人はいなくなってしまい悲しいということになる。何かに依存するのは心にとって良くありません。
■他人は幸福を与えてくれない
そういうことで、孤独を感じても悲しくならないで下さい、というのが答えです。悲しくなるならそれは「他人が私に幸福を与えてくれるんだ」という錯覚の結果です。幸福は自分で作らなくていけません。そこの理解を改めた方が良いと思います。はっきりと幸福は自分で作らなくてはいけないと理解することです。他人に期待しても幸福は得られません。そもそも幸福は他人が与えてくれるものではないのです。他人と一緒にいる時は、楽しい場合もありますが、うるさく思ってしまう場合もあります。
■幸福は作るもの
ですから、自分が楽しくなる原因を自分で作ることです。幸福の決定権は自分が握っているのだと理解してください。そうすれば他人に邪魔されても、自分は楽しくいることができます。幸福の決定権を他人に委ねてはいけません。自分の幸福の操縦桿を差し出して、「では、あなたが代わりに私の幸福を管理してください」と言ってはいけません。それは危険です。幸福の操縦桿は自分で握って、自分で舵を取る必要があるのです。憶えておいてください。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: こころ編5』