言語は、自転車でいえば補助輪のようなもの。練習には便利だが、自転車本来の性能を発揮する段階では補助輪は取り外さないといけない。仏教にとって、言語は同じように、補助的な位置にあるにすぎないのです。
橋爪大三郎(社会学者、東京工業大学教授)
(サンガジャパンVol.13 「言葉の観点から見る仏教」)
※肩書は掲載時
2025/01/24 07:00
言語は、自転車でいえば補助輪のようなもの。練習には便利だが、自転車本来の性能を発揮する段階では補助輪は取り外さないといけない。仏教にとって、言語は同じように、補助的な位置にあるにすぎないのです。
橋爪大三郎(社会学者、東京工業大学教授)
(サンガジャパンVol.13 「言葉の観点から見る仏教」)
※肩書は掲載時