【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「死の受け止め方」です。
[Q]
長年、父親の介護をして最期まで看取り、今現在は母親の介護をして生きています。つい最近、妹が亡くなり介護をする者が私独りになってしまいました。ショックを受けています。どうしたらいいでしょうか?
[A]
■愛情が悲しみに変わる
どうにもなりません。どうにもできないでしょう? ですから、悲しみやショックというのは、どれぐらい自分に愛情(愛着・束縛)があったのかということによります。妹さんと同じ年頃の女性が世の中ではいくらでも死んでいるのです。しかし、それは痛くも痒くもありません。やはり自分にある愛情と同程度の苦しみは必ず生じるのです。〝この人とは絶対に別れたくない〟と思う人が死ぬと、耐え難い苦しみが生まれるのです。しかし、人が死ぬということは世の中にあるごく普通のことです。特別なこと、珍しいことではありません。
■悲しみを覚悟する
私たちは、人が死ぬことになぜ悲しむのかというと、それは愛情が原因であると理解しなくてはいけません。愛情・愛着が犯人なのです。人が死ぬということは、呼吸するのと同じぐらい当たり前の出来事です。仕方ありません。両親や兄弟、子供がいると、やはりそれなりの愛情がありますからその分は覚悟をしておいてください。それだけの苦しみが生まれます。備えないといけません。愛情があるならどうすることもできません。ですから、愛情は苦しみに変わってしまうと理解しておいてください。そうするとこじらせません。苦しくて当たり前なのです。
■人のお世話をする時も自我は張らない
人のお世話をすること・介護することは、仏教ではブッダのお世話をすることと同じ気持ちでやってくださいと教えています。日本文化に入れ替えて言えば、神様のお世話をするような感じです。自分の目の前に神様が倒れていて介護が必要になっている。それぐらいの心構えがあれば、ものすごい功徳になります。「俺の母親」「私のお父さん」という気持ちよりは、尊いお方だと思ってやってみてください。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: 人間関係編2』
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