アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「独覚ブッダも説法はしていたのか?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。

[Q]

    ジャータカ物語の中で、独覚ブッダ(パッチェーカ・ブッダ)も一般的な説法はしていたとあるそうですが、なにを語っていたのでしょうか?

[A]

    独覚仏には「こうすれば私のように悟れます」という教えは話せませんが、一般的な道徳なら語っていた可能性はあります。註釈書には、あえてその記述はありません。ジャータカ物語のパッチェーカ・ブッダのエピソードでは、村人が大勢集まってパッチェーカ・ブッダを尊敬したり、お寺を建てたり、お堂を作ってあげたという話があります。もし、独覚仏がなにも喋らないのなら、そこまでやらないでしょう。尊敬されて、仏塔まで作って拝まれたりしたということは、完璧な聖者であることをみんなが知っていたということです。ですから、かなり派手に説法をしたということになりますね。
    「ただ黙って托鉢に来た」などという表現は伝統的な言葉で、実際は説法したと思います。しかし、悟りの道や、涅槃の境地については語れません。いわゆる方便はないのです。パッチェーカ・ブッダの説法を聞いてみな悪行為をやめるでしょうし、善行為をするでしょう。しかし悟りに達することはできないと私は思います。
    パッチェーカ・ブッダの方々が、けっこう集まって一緒にいたということもジャータカ物語には入っています。あるいは、五〇〇人のパッチェーカ・ブッダをヒマラヤからお招きしたという話もあります。五〇〇人でなくても十人ぐらいのパッチェーカ・ブッダたちのグループができあがるとそこにリーダーになる人がいて、みなの面倒を見るようになるのではないかと推測するのはふつうだと思います。もしそうであるならばパッチェーカ・ブッダもそれなりに説法したことになります。もし仏典にあるとおりにパッチェーカ・ブッダに説法する能力がないという立場を取るならば、それぞれの人が、個人の努力で悟りに達してから、一緒に生活するようになったという解釈になります。パッチェーカ・ブッダも解脱の道をなんとか頑張って語ったのではないかと推測してもかまわないのです。
    テーラワーダの比丘たちは在家の布施を受けたときは「icchitaṃ pacchitaṃ tuyhaṃ khippameva samijjhatu」という偈で祝福します。「白分の月(新月から満月まで月が満ちていく二週間)のようにあなた方のすべての希望が叶えられますように。願望成就しますように」という意味の祝福です。今テーラワーダ仏教で使っているこの偈はパッチェーカ・ブッダたちが布施をした在家の人々を祝福するために唱えていたのだ、というのが伝説です。




■出典    『ブッダの質問箱』