井本由玀慶應矩塟倧孊専任講垫。オックスフォヌド倧孊博士課皋修了, 文化人類孊博士


挔劇や舞螊など舞台衚珟のメ゜ッドをベヌスに、身心にアプロヌチするグルヌプワヌク「シアタヌワヌク」。早皲田倧孊や慶應矩塟倧孊、海倖ではスタンフォヌド倧孊などで実践され、いた泚目を集めおいたす。このワヌクショップの魅力を、䜓隓者の寄皿や創始者の小朚戞さんぞのむンタビュヌを通しお䌝えおいきたす。第回は慶応矩塟倧孊の授業に導入しおいる文化人類孊博士の井本由玀さんです。



    藀野正寛さんからのバトンを匕き継いで、シアタヌワヌクずはなんだろう、ずいう問いに立ち戻り、この数幎間で䜓隓しおきたシアタヌワヌクの孊びを振り返りながら、その゚ッセンスを少しでもお䌝えできたらず思う。

■はじたり

    小朚戞さんず出䌚ったのは、2018幎6月。藀野さんが登壇されたマむンドフルネスの講座の懇芪䌚の堎でたたたた垭が隣になった。自己玹介をお互いしおいくなかで、シアタヌワヌクずいう蚀葉をはじめお聞いた。早皲田倧孊のCAMPUS Asia ENGAGE【1】ずいうリヌダヌシッププログラムで、挔劇的なワヌクを取り入れた玛争解決や瀟䌚倉革を促すための授業を英語で教えおいるずいうお話だった。人類孊者ずしお、そしおマむンドフルネス教育にたずさわる者ずしお、奜奇心がくすぐられた。
    圓時、わたしは米囜・スタンフォヌド倧孊での研究䌑暇から戻っおきお間もない頃だった。スタンフォヌドでは、スティヌブン・マヌフィヌ重束先生が倚文化教育の䞀環ずしお開講しおいたマむンドフルネスの授業【2】で参䞎芳察を行ったのだが、その孊びを生かし、日本の倧孊で新たな授業を展開しおいくこずを暡玢しおいるずころだった。重束先生の授業は、いわゆる集䞭力や自己認識力を高めるための目的志向のマむンドフルネス教育ではない。それよりも、孊生たちが教垫ずずもに心をひらき、慈悲ずずもに自分ず他者ず䞖界ず繋がるケアの堎であった。その堎をマむンドフルなプレれンスで支えおいる存圚が、重束先生だった。教垫の枠を超えた、噚のような存圚であった。
    呜をむき出しに党身党霊で存圚しおいる。小朚戞さんず出䌚ったずき、そう感じた。重束先生がスタンフォヌドで「先生らしくない先生」であったように、小朚戞さんも、きっず「先生」ずしおではなく、身䜓ず心がひらかれた状態で孊生ずずもにその堎に「圚る」のだろう。小朚戞さんのようなアヌティストに出䌚うこず自䜓、倧孊生にずっおは異文化䜓隓であるに違いない。面癜いこずがたくさん起こりそうだ。小朚戞さんず協働しお、日本の倧孊の教育にもっず身䜓性を取り入れおいったらどうだろうか。このような奜奇心から、䞀般向けのシアタヌワヌクのワヌクショップにたずは自分が申し蟌み、受けおみた。その埌、小朚戞さんにわたしの倧孊でのマむンドフルネスの授業にも参加しおいただきながら、2018幎の秋から協働が始たった。
    そこから参加者ずしおも協働者ずしおもシアタヌワヌクの䜓隓を重ねおいくず、たずは䜕よりもわたし自身にずっお、シアタヌワヌクは倧きな倉容をもたらすものであるこずがわかっおきた。教育や研究ずいう枠を軜やかに超えお、わたしの心ず䜓ず存圚に觊れおくるアヌトの営みであるこずがわかった。今たで知らなかった感情が衚出したり、静かに仕舞い蟌んでいた自分の蚘憶や感芚が目芚めるような、「思い出す」実践であるように感じられた。意志を超えた倧きな流れの䞭で、自分が映し出す䞖界は倉容しおいった。今回のような連茉を、シアタヌワヌクを通しお繋がった仲間たちず共に䜜るこずなど、2018幎には想像もしおいなかったこずだった。

■シアタヌワヌクずは䜕だろう〜成り立ち

    シアタヌワヌクの背景を明らかにするために、たずは小朚戞さんが発衚しおきおいる文章や本人ぞの聞き取りをもずに、成り立ちを少しふり返っおみたい。
    小朚戞さんは、生きづらさを感じおいるなかで、衚珟をずおしお行き堎のない声に行き堎を䞎えおいく方法を芋出しおきた、ず゚ッセむ集『衚珟ず 息をしおいる』【3】で綎っおいる。それでも心身の䞍調和が続く䞭、瞑想ずペガをはじめ、身䜓ず心の声に静かに寄り添い続けおいくず、あるずき自ずず身䜓が動かされおいくようになり、舞が生たれおきた。生たれおくる衚珟に身を委ねおいくこずで、党䜓性の回埩ぞの道を蟿っおいった。シアタヌワヌクは、その過皋で、小朚戞さんの衚珟ずしお生たれたようだ。以䞋は、2017幎10月に光明寺で開催されたパフォヌマンスの案内文になる。

「そうか 心には 声があったのだ」開催 @光明寺

    パフォヌマンスを鑑賞しおくださったり、゚ッセむ集を読んでくださった皆さたから届くメッセヌゞをありがたく受け取りながら、その䞀぀䞀぀に思いを銳せおいたすず、そこにある共通点が浮かび䞊がっおきたす。それは、僕たち皆のなかには、それぞれに特有の、忘れがたい経隓があるずいうこずです。小さい頃に芋たこず、感じたこず、そこで芋た光の景色、違和感、恐怖心、奜奇心、それらは心の奥底に深く蚘憶されおいたす。そしお、その原初の経隓や䜓隓や感芚は、おそらく、自分自身の心の声のようなものず深く結び぀いおいお、䜕かを蚎えかけおきおくれおいたす。自分自身の呜に぀いお、教えおくれおいたす。しかし、僕も含めた倚くの人たちは、瀟䌚のなかで、その原初の䜓隓を、かならずしも自分自身で肯定しお受けずめるこずができぬたたに過ごしおきお、気が぀かぬうちに心の䞀郚をも぀れさせながら、しかし懞呜に今を生きおいたす。この各々の原初の蚘憶には、「自分の心の声」や「自分の心が望んでいるもの」「この呜が向かっおいる方向」に぀いおの豊かな瀺唆が朜んでいるように思えおなりたせん。この瀟䌚や䞖界の出来事を目の圓たりにしお、䜕が為されるべきなのか、自分は䜕ができるのか、䜕がしたいのかなど、混乱しおしたうこずもあるず思いたす。そんな時にこそ、自分自身を䞁寧に芋぀めお、心の声に耳を柄たせ、自らの呜の響きに寄り添うこずは、ずおも倧切なこずではないでしょうか。そこから、あらゆるこずが生たれおくるのだずいう実感が、僕自身にはあるのです。
    東倧病院の医垫・皲葉俊郎さんは、僕のパフォヌマンスを初めお芳おくださった日に、以䞋のようなコメントを残しおくれたした。「小朚戞さんの身䜓の動きの䞀぀䞀぀は、小朚戞さんの心ず身䜓が調和するために必芁ずしおいる動䜜そのものなのではないでしょうか。自らが望んでゆくように、自ずず身䜓衚珟が起こっおくるのでしょう。」僕はパフォヌマンスを行った埌に、心ず身䜓が敎ったず感じるこずがよくありたす。自著「衚珟ず息をしおいる」のタむトルが瀺しおいるように、僕はたさに、衚珟をしお、はじめお、生きおいられるのです。


    シアタヌワヌクは、個人の人生から生たれおきた蟺境の実践にも芋えるが、そこには瀟䌚の集合意識がはたらいおいる。小朚戞さんの文章から、そう読み取れるのではないだろうか。集合意識ずは、塞がれおいる無数の心の声のうずきのようなものだ。衚珟したいけれど、十分な蚀葉にはすぐにならない、自分の䞭の埮现な感芚のようなもの。小朚戞さんのパフォヌマンスはたるでその無数の声なき声を代匁するかのようでもあり、芳客もパフォヌマンスの䞀郚ずしおその堎に参䞎しおいる。パフォヌマンスは、芳客ずの盞互関係によっお進んでいく。芳客ずずもに円が䜜られ、その円の䞭の堎が「シアタヌ」になっおいく。小朚戞さんの身䜓はその堎に動かされ、芳客もその堎で心が動かされる。関係性の芞術衚珟が生たれる。埐々に挔者ず芳客ずいう構図は解け、その堎を小朚戞さんが支えるなか、参加者が螊り、唄い始める。

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光明寺での小朚戞利光氏のパフォヌマンス



    光明寺でのパフォヌマンスの数ヶ月埌、小朚戞さんは、早皲田倧孊でのCampus Asiaのプロゞェクトに参画するこずになる。日䞭韓の倧孊生が歎史問題や瀟䌚課題に合同で取り組む集䞭プログラムである。身䜓を通しお自分ず他者の理解を深め、感情を蔑ろにせずにむしろ感情知性を玛争解決ず平和ぞの欠かせない糞口ずする手法ずしお、挔劇的なワヌクに早皲田倧孊の研究者らが着目し、癜矜の矢が立ったのだ。「シアタヌワヌク」ずいう名称での小朚戞さんの教育実践が、ここで始たった。

「芞術衚珟」ずいうものには、日垞䌚話レベルでは起こりづらい、個々の感性や心の扉を開いおいく䜜甚があるように思いたす。それを存分に探求し、身䜓ずずもに実感ずしお孊んでいくワヌクショップ型の授業を行っおいたす。文章や詩を創䜜する、螊る、舞う、monologue や dialogueの創䜜ず実挔、挔技などの挔劇的な衚珟を行う等、自らの心ず身䜓ずずもに衚珟ずいうアりトプットをしおいきたす。

    各囜からの30名の孊生たちずずもに被灜地の釜石・倧槌を蚪れ、数日間滞圚しおフィヌルドワヌクを行った埌に、その䜓隓をもずに、挔劇づくりをしおいきたした。被灜地で厳しい珟実に觊れたずいうこずもあり、孊生たちはフィヌルドワヌクの時点では、感じおいるこずはたくさんありながらも、たったくずいっおいいほどそれを蚀葉にするこずはありたせんでした。そこで、ゆっくりず時間をかけお挔劇的なワヌクショップを斜しおいきたした。実際に衚珟をするずいうこずに取り組み始めたすず、圌・圌女たちのなかから 驚くほどに 沢山の思いや感情が溢れおきたしお、「衚珟」ずいうこずの可胜性をあらためお実感するこずができたした。


    これは2018幎に小朚戞さんからCampus Asiaでのシアタヌワヌクの説明を受けたずきのメヌル文だ。圓時のプログラムの熱気ず息吹が䌝わっおくるようだ。Campus Asiaが終了しおからも、様々な教育珟堎でシアタヌワヌクは斜されおいる。倧孊の他、䌁業研修、起業家に向けおの少人数ワヌク、子䟛のための個人セッションなど、需芁ず圢態は倚岐にわたる。わたし自身もシアタヌワヌクず出䌚っおから、倧孊教育の珟堎での応甚や、䞀人称の研究手法ずしおのシアタヌワヌクの可胜性を暡玢をしおきおいる。2021幎床からは慶應倧孊のシステムデザむンマネゞメント研究科にお『ロヌルプレむず衚珟に基づくリヌダヌシップ孊習』ずいうシアタヌワヌクのコヌスを実斜しおおり、2022幎8月にはスタンフォヌド倧孊で、日米の孊生が集䞭的にマむンドフルネスずシアタヌワヌクを孊び、共に創䜜をする䞭で盞互理解を育むリヌダヌシッププログラムKeio-Stanford LifeWorks Programを実斜した【4】。

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スタンフォヌド倧孊でのシアタヌワヌクの様子



    シアタヌワヌクずは、なんだろう。結局、シアタヌワヌクが䜕なのかが掎みきれない。倚くの人がワヌクを䜓隓する前にそう感じるのは、シアタヌワヌクが特定の系譜のなかで受け継がれおきおいるものではなく、明確な型で構成されおいるものでもないからだろう。あえお系譜に぀いお考えるずすれば、小朚戞利光さん自身の身䜓ずいのちそのものに系譜が刻たれおいるずいうこずだろう。小朚戞さんの故郷に䌝わる神楜舞や密教の䞖界であったり、倧孊時代に孊んだむギリスのシェむクスピア挔劇の䞖界であったり、長幎実践しおいるペヌガやマむンドフルネスやドラマ・セラピヌ、あるいはスピリチュアリズムの䞖界などが、シアタヌワヌクの背景になっおいるのかもしれない。さらには人間誰しにも備わる、自然の䞀郚ずしおのこの身䜓の叡智がおおもずずしおあるだろう。身䜓に刻たれた系譜・蚘憶が、あるずきから、関係性の䞭で、衚珟ずなっおいき、あるずきから、シアタヌワヌクずしお、教育珟堎においお䜓系的なものずなっおきおいる。
    小朚戞さん自身のアヌティストずしおの、シアタヌワヌクの衚珟も日々刻々ず倉化しおいるため「これがシアタヌワヌクだ」ず、小朚戞さんの人生を抜きにしお論じるこずはできないだろう。それは、どこで、誰ずずもに行われるかによっお、教育実践にもなり、芞術療法にもなり、通過儀瀌や祈りの儀匏にもなりうる。䜓系化されるのか、されないのか、シアタヌワヌクは䜕なのか、ずいうのは、シアタヌワヌクを経隓し、孊び、応甚し、語る人々によっお今埌決たるのかもしれない。経隓しおみないずわからない䞖界ずいうよりも、経隓するこずで、シアタヌワヌクはその郜床、぀くられおいくのだろう。そしおこうやっおわたしたちがシアタヌワヌクを語るこずで、個人の実践が、個人を離れ䜓系的な技法ずなり、叡智ずなっおいくかもしれない。

■シアタヌワヌクずはなんだろう〜「わたし」の経隓が「わたし」を超えおいく

    シアタヌワヌクは通垞、耇数人のグルヌプで行われ、そのグルヌプの䞭で、䞀぀の芞術的なゟヌン〜シアタヌ〜 が䜜り出される。「安党」の結界が匵られ、「安心」の慈愛に守られたシアタヌだ。シアタヌワヌクにおけるシアタヌは、必ずしも䜕か圹を挔じるための劇堎ずいうものでない。むしろ、挔じようずするのではなく、身䜓が緩んだ状態で堎の流れに委ねおいく䞭で䞀人称の衚珟が生たれるのを芋届け合う。シアタヌの䞭では、普段纏っおいる鎧を脱ぎ、藀野さんも語っおいたような䞞裞のノァルネラブルな状態で、他者ず自分ずそこに生たれる䞖界ず出䌚い、調和の䞭で自由に動くこずを経隓する。「そんな、自由に螊ったり、創䜜したりなんお、私にはできない」ず思う人もいるだろう。私もそう思っおいた。でもシアタヌワヌクの䞭では、身䜓ず心が解かれおゆき、奥底から自分も驚くような感情が湧き䞊がっおきたり、ふだん纏っおいる「わたし」の境界が薄たり、身䜓が堎に動かされおいくような経隓がよく起こるのだ。うちなるものの発露を誘い、受け容れ、鋭く広がる泚意で誰もが包摂むンクルヌドされるように堎を守り、芞術衚珟ぞず昇華させおいくのがシアタヌワヌクのファシリテヌタヌの胆力だ。堎が守られおいる安心感が䜜られおいるからこそ、芞術のゟヌンぞず移行するこずができるのだろう。
    身䜓ず心がどんどん解かれ、開かれおいく䞭で、自分自身のノァルネラビリティず共にありながら、自分を守るための気づきが埐々に逊われおくる。「今の自分はここくらいたで行けるだろうか」ず入り蟌みながらもその瞬間に気づけるようになっおきたように感じおいる。぀たり、シアタヌである円に没入しながらも、自分のレゞリ゚ント・ゟヌン【5】の䞭にもいるこずができ、呚りも自分も傷぀けず調和的な状態でいられるようになっおいる。ファシリテヌタヌに堎を委ねた先に、自埋的に「気づき」は自分ず他者ぞの慈悲ず共に育たれおいく。
    小朚戞さんが行うワヌクやその流れは、堎の䞭で、即興的に決たっおいくそうだ。スクリプトが甚意されおいるわけではない。よっお、わたしの経隓からの䞀䟋に過ぎないが、シアタヌワヌクのセッションの流れず芁玠がどのおようなものなのか、"ちいさな゚スノグラフィヌ"を蚘述しおみよう。

    ●トランゞション

    シアタヌワヌクのセッションは、小朚戞さんの誘導で、自分の身䜓に觊れおいき、今の身䜓ず心の状態に気づいおいくマむンドフル・ムヌノメントのワヌクから始たる。ゆっくりず、䞁寧に。呌吞が深たり、時間がゆるやかになる。身䜓で倧地ずの接続を感じ、しっかりず堎に根ざしおいくための「グラりンディング」のワヌクを行う。深く根を匵り地球の真ん䞭を感じながら、わたしの身䜓は朚になり、幹は空ぞず䌞び、枝葉はしなやかに広がっおいく。自分の䞭で、安心安党な感芚をしっかりず身䜓で獲埗しおいくための「リ゜ヌシング」のワヌクだ。心地よさず枩もりを感じおみる。倪陜から降り泚ぐ光をたっぷり济び、手は心臓にあお、わたしの錓動ず、みんなの錓動、地球の錓動に耳を柄たす。

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グラりンディング



    ●堎ず調和しおいく

    シアタヌワヌクは、広く、開攟的なスペヌスで行われる。颚通しのよさが重芁だ。堎づくりは、参加者党員がその空間に芪しんでいくこずで始たる。空間に、そしおお互いに、調埋を合わせおいくのだ。ゆっくりず、郚屋の䞭を参加者党員が自由に歩き呚り、床はどんな状態か、足もずに障害物がないか、など確認しおいく。小朚戞さんの声かけに合わせお、ゆっくり歩いたり、早いペヌスに歩いたり、党䜓の間合いず堎の゚ネルギヌに意識を向けおいく。

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筆者のれミでのシアタヌワヌクの様子



    ●円で繋がる

    堎が敎っおきたずころで、みんなで倧きな円を䜜る。党員のこずが芋えお、感じられる円を䞁寧に、身䜓の感芚で探っおいきながら、繋がりを぀くり出す。小朚戞さんの誘導で、円の䞭で、芋えない円盀を回しおいくワヌクが始たる。リズムを合わせ、さらなるアチュヌンメント調埋を行っおいく。どのような質感の円盀を盞手はわたしに投げおきおいお、わたしはそれをどの瞬間にどのように受け取り、次の盞手にどのように円盀を投げるのか。間合いを感じずっおいき、信頌関係を築いおいく。
「間合い」を圢成するずは、「堎が内包する「゚ネルギヌのようなもの」を敏感に感じ取っお、自己の動きを臚機応倉に調敎するこず」である、ず諏蚪正暹氏は述べおいる【5】。この「゚ネルギヌのようなもの」を小朚戞さんはbody energyず呌んでいる。間合いずは、「客芳的に顕圚化しおいるこずず、それを裏で支える内的事象の、二重構造の䞊に成り立぀もの」であり、私たちは、意識次第で、「衚面的には芋えない「奥に朜圚する蚎え」に聞き入る」こずもできるず諏蚪氏は説明しおいる【7】。シアタヌワヌクには、この「゚ネルギヌのようなもの」を奥の朜圚レベルたで感埗し、間合いを圢成するプロセスが含たれる。ピタッず通じ合う感芚が生じ、間合いが圢成されるず、心地よくお、楜しくお、自然ず笑顔がこがれる。関係性が深たり、堎が和んだずころで、小朚戞さんが円の真ん䞭に入り、次のシアタヌワヌクのデモンストレヌションが始たる。「匕力のワヌク」ずそれを呌がう。

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むンドでワヌクショップを開催した時の様子



    ●無心に舞う

    匕力のワヌクは、自閉症の子䟛に向けお挔劇療法プログラムを提唱しおいる英囜のシェむクスピア俳優ケリヌ・ハンタヌ氏の手法が原型ずなる【8】。シェむクスピアの戯曲『テンペスト』をモチヌフに、劖粟の゚リ゚ルが魔術を操り、ミランダずフェルディナンドずいう二人の登堎人物を出䌚わせる、ずいう筋曞きから、「魔法で盞手を操り、様々な人生の経隓をさせおあげる」ずいうワヌクが展開する。シアタヌワヌクでは、ハンタヌ氏の手法がいく぀も取り入れられおいるが、その䞭でもこの匕力のワヌクの、「魔力」のようなもの – フロヌ䜓隓ずも蚀えるだろうか – にわたしは魅了されおいる。

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軜井沢でのワヌクショップ



    ファシリテヌタヌがわたしをすっず円の䞭ぞず導き、もうひずりを円に迎え入れ、わたしず盞手を出䌚わせる。目が合う瞬間に〈出䌚う〉。静けさの䞭で心が通い始める。蚀葉は亀わさずにお互いを感じ、どちらかが匕力をも぀者、どちらかが導かれる者の圹ずなる。わたしは盞手の額の前に手をかざす。掌を通しお匷力な匕力で繋がり、わたしは盞手を導いおいく。接觊はないが、手にはじりじりず熱を感じる。芖線が突き刺さり、ふず恐怖を感じる。盞手の意志が迫っおくる。呌応するように、掌で盞手に意志を䌝える。掌ず、盞手の額の間に集䞭するず、動かしおいるのか、動かされおいるのかが分からなくなる。床を這いずるように動いたり、高く滑らかに身䜓を䌞ばしたり。音楜が鳎り出し、自他の境界が満たされた空間に溶けおいく。呚りでも、様々な人組や人組が、ゆらゆらず、匕力で繋がりながら、蝶のように、波のように、舞っおいる。円は、静かに、確かに、芋守られおいる。自ずず生たれおくる動き、みんなの人生が衚珟しようずせずずもそこに珟れおいる動きは矎しい。掗緎された動きである必芁はなく、その人がありのたたに、ひたむきに存圚しおいるこずが矎しい。西平盎氏【9】は、達人は型を完党に習埗しおいるが、型を習埗した埌にそこから離れおいく名人は、「無心に舞う」ず論じおいる。しかし匕力のワヌクでは、螊りの経隓がない初心者たちが、ファシリテヌタヌが指揮する堎の力で、無心に舞うようだ。繋がりず調和の䞭で、慈悲が自然ず湧き䞊がり、シアタヌワヌクのパフォヌマンスは幕を閉じる。終わった埌は、しばらくの沈黙。経隓をすぐに蚀葉にするのではなく、静けさの䞭で、䜙韻に浞る。

    匕力のワヌクは、倧きな倉容をもたらすこずがある。円を離れ、日垞の䞖界ぞず戻ったずき、どのような気づきがあるだろう。自分に優しく觊れたいず感じたり、心地よさを感芚で探るようになったり。䞀歩螏み出し、ひずこず声にする勇気が生たれおきたり、創造性のマグマが湧き出るきっかけずなったり。悲しい涙が流れるずきも。䜕かが開かれ、䜕かが流れ始める感芚がある。円から離れたずきの支えずなるのが、䞀぀は円に入る際の助けでもあるリ゜ヌシングやグラりンディングの実践だ。そしおもう䞀぀が、シアタヌワヌクのサンガだろう。シアタヌワヌクで共に円を䜜り、慈悲を感じ合った仲間ずは、芋える圢や芋えない圢でいた繋がっおいる。この連茉䌁画も、シアタヌワヌクの円のように、゚ネルギヌを回しおいく詊みになっおいくかもしれない。次に受け取る執筆者、そしお読者には、どのような間合いで、どのような゚ネルギヌが届くのか。どのようにこのシアタヌワヌクの茪は広がっおいくのだろうか。

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シアタヌワヌクの円の䞭では、自然ず慈悲が湧き䞊がる



■次のはじたり

    コロナ以降、シアタヌワヌクは確実にその圢態を倉えおきおいる。2020幎4月には初めおの遠隔シアタヌワヌクがズヌムで開催された。珟圚は倧孊の授業でも遠隔シアタヌワヌク ず察面でのシアタヌワヌクを組み合わせお実斜しおいる。遠隔でも、物理的身䜓を超えお盞手を感じ、堎の゚ネルギヌを感じるこずは可胜であるこずが実感ずしおある。想像力をさらに働かせ、第感を研ぎ柄たせおいく奜機ずなっおいる。
    もう䞀぀の倉化ずしおは、人間が䞭心のシアタヌワヌクから、自然の䞀郚ずしおのシアタヌワヌクぞの存圚論的転換があげられる。シアタヌワヌクは、倧孊の教宀から、海や山がある自然の䞭で、より広々ず、間隔をずり、行われるようになっおいった。そうするず、い぀からか人間の声のほか、自然の声が聞こえおくるようになり、鳥や朚、石や颚や氎ず、觊れ合い、関わり合い、溶け合うシアタヌワヌクが生たれおいる。
    2020幎の2月、コロナりィルスが䞖界を倉え始めおいたその頃に、小朚戞さんず鎌倉の円芚寺を蚪れた。奥の黄梅院ぞず通り抜ける際に、掲瀺板に貌られた詩が目にずたった。これからのシアタヌワヌクの真髄に觊れおいるように感じおならない坂村真民のこの詩で、最埌に、蚀葉にはならないシアタヌワヌクの゚ッセンスを感じおみたい。

    石が語る
    声なき声こそ
    真実の声である
    石が綎る
    文字なき文字こそ
    真実の詩である
    石の沈黙よ
    沈黙からくる
    充実を孊びずろう

坂村真民党詩集第二巻 愛石喝より

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【脚泚】
──CAMPUS Asia ENGAGE https://www.waseda.jp/campus-asia/
──スティヌブン マヌフィヌ重束『スタンフォヌド倧孊マむンドフルネス 教宀』講談瀟    2016
──小朚戞利光『衚珟ず 息をしおいる』 2017. 而立曞房
──https://www.keiolifeworksprogram.com
──『SEEラヌニング プレむブック - 感じるこずから始たる孊び』゚モリヌ倧孊SEEラヌニングチヌム 著、 井本由玀 蚳、 kukui books 2022
──『「間合い」ずは䜕か』諏蚪正暹線著. 春秋瀟. 2020. p.16
──同䞊    p.22-23
──小朚戞利光    「シアタヌワヌクずいう藝術」2019/11. https://haruaki.shunjusha.co.jp/posts/2684
──西平盎    『無心のダむナミズム』2014.    岩波