【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「気づきを最優先に」です。
[Q]
瞑想指導や経典(大念処経)などで、瞑想する時は「前面に集中する」とあるのですが、「前の方向を意識する」ということでしょうか?
[A]
■瞑想とは 対象に気づくこと
瞑想経典にある「前面(現前、全面)」というのは、物質的な自分の前とか表という意味ではありません。「他のくだらないことは全て止めて、このことだけ専念してやってください」という意味なのです。没頭することとは少し違います。Top priority(最優先)ということです。「気づきを最優先にする」ということになります。パーリ語では「parimukhaṃ satiṃ upaṭṭhapetvā(前面に念を凝らして)」、この解説はプロのお坊さんでも間違えます。呼吸瞑想では「顔の前に集中してください」と言ったりしますが、呼吸を最優先に感じ、気づくということです。
■最優先は 今やるべきこと
例えば瞑想して座っていると、呼吸による膨らみ・縮みを感じて実況中継しますが、足が痛くてなかなか上手く集中できないことがよくあると思います。その場合、心は足の痛みを心配する方に向いているのです。つまり、お腹の膨らみ・縮みを観察することが最優先になっていません。また別の例で言えば、劇場や映画館で芸術を鑑賞するとします。その場合、演劇や映画を見ることが最優先です。始まるまで少し時間があるので、本でも読んで待っているとします。すぐに演劇や映画は始まったのですが、本の内容が面白くて、映像や音も感じて時々は顔を上げるもののそれでも本を読み続けている。そうすると、鑑賞も読書も中途半端で、ひとつだけを最優先ということになっていないのです。「最優先にする」ということは、演劇を見ているなら、じっと舞台を見ることを言います。俗世間のことですが、瞑想の場合は、呼吸や体の動きに最優先に気づきを入れるのです。「前面」とはそのような意味になります。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: 瞑想実践編4』
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