アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「殺生の重さに差はありますか?」です。
[Q]
何を殺めるかによって、殺生の罪の重さに差はあるのでしょうか?
私は初期仏教の教えを実践する以前は、蚊や蠅や魚などたくさんの生命を殺めてきました。世俗的な感覚では、人間を殺すことは大罪でも、蚊は害虫なので、積極的に排除しようという考えすらあります。初期仏教を実践し始めた今では全ての生命は平等で、それぞれに最大限の慈悲の心を持って接する対象だと考えています。
そこで、過去に私が蚊を殺したことは人間を殺すことと同じ程度の悪になるのでしょうか?
[A]
■罪の重さはケースバイケース
例えば、起きている時にパチンパチンと蚊を三匹殺して、それから寝る。寝付いたところで新たな蚊が一匹プーンと来ると、うるさくて目が覚めてしまってものすごく腹が立つ。それで四匹目を潰してしまう。それは前の三匹を殺したことより罪が重いのです。前の三匹に対しては「邪魔だなぁ」という程度でしたが、四匹目の蚊に対して怒りを持って、強い殺意を抱いたからです。そういうわけで、殺生の罪というのはケースによってバラバラです。
人間を殺す場合にして同じことです。道端で偶然会った酔っ払い同士がケンカになって、結果的にどちらかが死んでしまった。それも殺人ですが、時間をかけて、じっくり計画を立てて、重要人物を暗殺するようなケースとは違うでしょう? 何年もかけてしっかり準備して、綿密に計画を立てて、当日もターゲットの動きを秒単位で確認して、確実に殺せる瞬間を狙う。例えば、ケネディ大統領を暗殺したような感じです。その場合は、偶発的な殺人よりも罪が重くなるのです。これはケネディ大統領が素晴らしい聖者だったからではなくて、犯人の執念や悪意が罪を重くするのです。それから、人類の役に立つ立派な人を殺すのは、人類に対して酷い罪を犯したことになります。また、特定の人に恨みを持っているわけではないのに「人を殺してみたかった」といって人殺しをする場合がありますね。そういう通り魔にたまたま殺されたのが、皆に信頼されている人格者だった場合も、すごく罪が重いのです。
最初に出した蚊の例でわかると思いますが、たとえ蚊を殺した場合でも同じ罪にはなりません。殺生の罪の重さにはケースによって差があります。しかし、あまりそれを気にしても仕方がないことです。
慈悲の実践をする場合は、一切の生命に対して平等に慈悲の心を作るのです。その時、今まで殺した生命に対して「申しわけないことしました」という気持ちになることで、罪の重さが軽くはなります。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: 瞑想実践編4』
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